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厳しいなぁ

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

「浄土真宗に帰すれども 真実のこころは

 ありがたし 虚仮不実のわが身にて 清浄の

 心もさらになし」

親鸞聖人のみ教えの中に、人間の欲を満たすご利益はひとつもありません。

この私の目には見えないご利益ばかりであります。

だからこそ、尊く、大切なのです。


しかしながら私たちは、次から次へととめどなく湧き出る欲望に押し流されて迷いの真っ只中を正しいなどと思い生きているのです。

日の良し悪しに惑わされ、不幸が重なればあちこちに占ってもらったり、お祓いしてもらったり、迷信に惑わされてる右往左往しているばかりの日暮らしではないでしょうか。

お金が大切だと言いながら、お金持ちは決して買わない宝くじをせっせと買い夢ばかり見て夢に敗れていく愚かな生き方を繰り返しているのではないでしょうか。


そもそも本当に、お念仏【ナンマンダブツ】を信じていれば、もっと堂々と人生を歩めるはずです。

本当にお念仏【南無阿弥陀仏】を信じていれば、どんな時も一番に仏さまのところへ行きはずです。

浄土真宗は、一にも二にもお念仏であります。


お念仏を信じるとは、【すべてを南無阿弥陀仏におまかせする】ことです。


ここがはっきりとしていないから、親鸞聖人のお心がわからないのであります。


よく、「ご住職、浄土真宗で良かったです。」と聞きますが、どうも皆さま勘違いなさっているように思えてならないのです。

お念仏をお称えして浄土真宗を信仰したら、お金に不自由しなかったり、不幸が逃げていって幸せになれたり、病気が治ったり、私の欲望(願い)がおもうようになったりする。

そんな教えではございません、残念ながら。

むしろこの世が真実ではなかったことをまざまざと知らされるのであります。

【縁】によってすべてがそうなることを知るのです。


何もしなくても阿弥陀さまが助けてくれる。

人間の欲はいつでも思い違いをします。

逆ですよ。

ならんのよ、思い通りには。


親鸞聖人が歩まれた道は、

【どんなことに出あっても、おかげさま、有難うございますと喜んで生きていくのです】

感謝、感謝の南無阿弥陀仏。


わからん私をそのまま抱き続けるはたらきが阿弥陀如来の大慈悲心であります。

こちらの手垢を付けたら、すぐに地獄の沙汰となります。

おまかせするとはこちらのすることがないこと。だから自然(じねん)というのです。


浄土真宗は、【ただひたすらに、私の生き方を厳しく問うみ教え】です。

だから、厳しいのです。


み教えをこちらにもってくると楽なのでしょうが真実が遠くなります。

煩悩具足のまま、阿弥陀さまにおまかせするからこそ、自然のお救いにあずかることとなるのです。

【まかせよ、救う】


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


※都市開教の先輩、吉見町の浄泉寺のご住職(日頃ゆりお世話になります)が町議会選挙へ出馬されています。びっくりですね。

出たからには是非当選されますよう願っております。

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