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執筆者の写真超法寺の住職

危ないところでした

皆さま、こんにちは。

めちゃくちゃ寒くなってきました。

雪でも降りそうです。心も身体も寒い時は、やはり阿弥陀さまの

ことを思うようにすると、あら不思議、堪えられる、そんなことは

私はあるのですよね。だからといって防寒にはなりませんけどね。

何をいっているんだろうか。

さて、先日株式会社メリットという東京都赤坂にオフィスを構える

コンサルティング会社から、超法寺のホームページを拝見して御社が

入間市でペット葬儀や急な葬儀で、身元のちゃんとした信頼のおける

寺院の住職を富裕層の方へご紹介して、実際に依頼があれば超法寺さんで

請け負ってもらいたいが一度お話をさせていただきたいので今日、お寺へ伺ってもいいでしょうか?と電話がありました。

ネットで検索すると綺麗なホームページでしたので一度お話を聞いてもいいかなと

約束をして専任担当と言う方がお越しくださいました。

さまざまなデータを入力して、入間市在住や入間市出身の方で超法寺でご縁をいただく可能性が見込める人は月10〜15件くらいはあると見込んでいます。そうおっしゃる。紹介手数料も必要ないなら助かるなあ。

うーん、なかなか美味しいはなしですね。

でもお話を聞く中ではあくまでも可能性の話ばかりで、依頼保証はない。

ないと言うことは絵に描いた餅になる要素が大いにあるということです。


それでコンサル費用が月¥40;000の2年払い、つまり¥1;056;000ということです。

「今、超法寺の最優先は物件購入なので結構厳しい」と言うと、

「上司からは今日契約をしてもらいたい」と言われたと言う。

結構強引だなあ、と住職は思いました。

紙媒体も一切示さず、具体的なことは教えてくれない。

福利厚生がどうこうと言うが、実際の、企業とかについては言われない。

これだけの高額になる案件だと言うのに、なんか怪しそうと思いましたよ。

でもお人好しでイケイケの住職は美味しい話に乗ろうとしていた。

専任担当さんがあまりにべっぴんさんだったと言うこともあったというのは否めません。住職もやっぱり男なんです。恥ずかしいね。


実は過去にも甘い、美味しい話に乗っかってしまい散財して窮地に陥ったことがありました。それを思い出して「今は超法寺の世話人と何でも相談して決めているので時間が欲しい」と。いやあ大人になりましたなあ。

すると「本当は早くして欲しいが、大事なことなので今日は持ち帰ります。」

改めてお伺いしますのでよろしくお願いしますと帰って行かれました。

気持ちをクールダウンさせて、ネット検索をしてみたら、あらあら多くの口コミが出てきました。

よくない話です。

いただいた名刺の住所(会社)を検索しました。

東京都港区赤坂1-12-32アーク森ビル12F

大都会にオフィスがあるのですね。

ネット検索すると、あれれれれ(コナンの口調で)?

な、何とこのフロアはリージャスという会社が運営するレンタルオフィスだったのです。つ、つまりは会社はホームページにあるようなものではなくて、ただのペーパー・カンパニーだったのです。

いかに私がすぐ人を信じてしまうか、社会人として住職として、一経営者として未熟かを痛感させられました。


今、超法寺を一緒に育ててくださっている方々に相談するため、以前のように何でも自分で考え、自分で行動してきた時分とは明らかに違ってきました。冷静に物事を考えるって大事なのですね。そういえば、オレオレ詐欺も同じですね。

すぐに行動してはいけないのです。

一旦、冷静になってこれは本当に必要なのか。これは今、すぐ必要なのなのか。

それを一人でではなく、一緒に考え、一緒に知恵を貸していただいて答えを出していくことがお寺の未来を考える上では大切なことなんだと思いました。

「お金は大事だよ」

いつぞかCMで流行りましたよね。


知らない人がさまざまなアプローチで時には「騙し」のアプローチもしてきます。

お寺は公共のため、知らない番号でも対応しなくてはなりません。

ここが実に難しいのですが、だからこそ超法寺を大切に思ってくださる方たちのご意見を賜ることが大事だと思いましたし、今はそれができるようになったことが、大変嬉しく思うのです。


本来なら特定の企業、会社の情報公開は避けるべきだと思いますが、ネットの口コミを見る限り、お寺さんだけではなくあらゆる個人事業主に同じような電話をかけているように感じたため晒すこととしました。

クーリングオフもできないような、紙媒体も示さない、高額契約をすぐ求めてくるようなところは十分に注意をする必要がありますよ。

超法寺もホームページを公開しているので情報は企業では簡単に窺い知ることができますから、この辺りも十分、承知おきしておく必要があるのでしょう。


人間は順境にある時は、自惚れ高上がりして、驕慢(きょうまん)になって自己を見失い、逆境にある時は、落ち込み僻み、卑屈になって自己を見失います。

人間の起こす事件の多くは、その結果です。

順境にあって驕慢にならずに、逆境にあって卑屈にならずに生きていくには、「真実の宗教」が必要です。

お念仏の教えを「濁世の目足(じょくせのもくそく)」と言われます。

み仏の智慧の目と、慈悲の足をこの身にいただいて、生きていくのがお念仏の道です。

他人や世間ならどうにでも誤魔化せますが、仏さまの目は誤魔化せません。

自身は現に煩悩具足の大悪人、仏になるべき力など待っていませんし素質もない。

実にお恥ずかしい泥凡夫であります。

かといって卑下することも、いじけることもありません。

そのままが仏さまののお慈悲の足に乗せられ、必ず浄土に生まれて往く、すでに

助かった喜びの人生を歩ませていただいているのです。


お念仏の人は、常に心に慚愧(恥ずかしい)[ざんぎ]と歓喜(よろこび)[かんぎ]の思いを持ち、慚愧あるが故に驕慢にならず、歓喜あるが故に卑屈にならず、人生を生き抜いていくのです。

「仏さま、申し訳ありませんでした。欲にかまけて甘い口車に乗ってしまうところでした。」

「でも、その私をお見抜きくださった上で、お救いくださっておられますね、ありがとうございます。」

ナンマンダブツ、ナンマンダブツ、ナンマンダブツ

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