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南無阿弥陀仏を称えるとは

皆さま、こんばんは。

今日も元気いっぱいに過ごさせていただきました。皆さまはいかがお過ごしでしたか。


さてネットを拝見していましたら先日、お参りくだされた方のブログを見つけました。

手厳しいお言葉をいただきました。

確かに私のお取次ぎは「熱い」のが特徴かな。

でも今まで長すぎるというお声をいただくことはございませんでしたので基本、14時からお勤め「正信偈」もしくは「仏説阿弥陀経」、その後、「御文章」拝読、続いて法話「60分1席」、最後に「仏教讃歌」唱歌のながれで16時には終わる予定にしています。

特に【盂蘭盆】、【彼岸会】、【宗祖親鸞聖人報恩講】などの法要時は厳かにお取次ぎをさせていただくようにしています。


リクエストやご要望はその都度、仰っていただくと助かります。

仏事を皆さまと共に営むという貴重な時間はやはりどうしてもテンションが上がります。

ましてや、阿弥陀さまの【ご本願の頼もしさ】をお取次ぎすることは、浄土真宗の住職としてはただだだ嬉しいことであります。


さて、皆さまには日頃より南無阿弥陀仏を声にいただく日々をお過ごしのこととは存じ上げますが、お念仏は唱えるではなく称えるものだとご承知しておられるでしょうか。


「唱える」とは、歌唱、合唱とありますように私が声を出して言うことを言います。

例)「お題目を唱える」、「呪文を唱える」等


「称える」とは、名づけて言う、人に先んじて言うなどの意味があります。

同じ「となえる」でも意味は全く違うのです。


南無阿弥陀仏は、阿弥陀さまの他力のはたらきが私に届いて、救われた喜びが声となって私の口から出てくださるものです。

皆さまは、人から良いことをしていただいた時はどうされますか。当たり前だよと黙っていますか。きっと嬉しい、喜び、感謝の気持ちがあれば、声にして「ありがとうございます」、「ありがとうございました」って言いますよね。

浄土真宗の南無阿弥陀仏は、【仏恩報謝の念仏】と言います。


だから、感謝の思いを声にしたものが【南無阿弥陀仏】となって、私の口から出てくるものなのです。


ということは、お念仏をとなえないと安心できないのは親鸞聖人がオススメくださるものとは違うと私は思います。

私が頑張って称えるものではなくて、阿弥陀さまが先にはたらいてくださり、「お前のことはもう阿弥陀が全部引き受けているから安心しなさい」という先手のはたらきが届いているということだと思います。


私が頑張るのは自力ですよ。

阿弥陀さまのひとりばたらきにおまかせするのが他力なのです。


【仏は助ける】、【私は助かる】

これが浄土真宗ですから、このおいわれをお聴聞重ねていくだけですね。

不安や疑問を吹き飛ばすはたらきが南無阿弥陀仏の声となり私の愚痴の口から出てきてくださるのです。


だから、いただいていない人、疑っている人にはなかなか南無阿弥陀仏は称えられません。

また声にならないのは、私が一生懸命頑張っているからだと思いますよ。


わかりましたか。

浄土真宗のお念仏は【称える】ものだということが。


まだおわかりにならない方は、わかるまで仏法聴聞を重ねましょう。

私は素直に称えられるまで30年かかりました。

そんなに簡単では無いのです。

だって私たちの煩悩(欲望)は頑固一徹でありますから。


こんな素晴らしい仏さまの願いをお伝えするのに私は冷静ではいられませんよ。

まだまだ未熟でしょうね。

「南無阿弥陀仏はいつまで称えたらいいですか?」の問いに、恩師、阿部信幾師は「南無阿弥陀仏が宝物と思えるまで称えなさい。」と、お答えくださいます。

素晴らしいと思いませんか。


また熱く語ってしまいましたね。

でもこれが超法寺住職、末田雅裕であります。

お嫌でなければ葬儀でも法事でも、毎月の法話会でもご用命くださいませ。

阿弥陀さまのお心に遇えたら寂しいなんて言っている場合じゃなくなりますよ。

しあわせいっぱいになります。


だってお浄土で遇うべき人に、今、遇わせていただいているのですからね。

嬉しくないはずはありませんよ。

住職は、葬儀には故人が呼んで(喚んで)くださったと、いつも思いながらお参りさせていただいていますよ。もちろんご法事もです。


だから当たり前とかそんな自分勝手な思いとはなりませんね。有り難いですから。


親鸞聖人は、ご和讃に、

「弥陀成仏のこのかたは、今に十劫へたまへ(え)り

、法身の光輪きは(わ)もなく、世の盲冥をてらすなり」

と、仰っておられるじゃないですか。


あらゆる命を南無阿弥陀仏一つで必ず救いたい、という願い【本願】、必ず救う【誓い】が今から十劫もの昔に成し遂げられているのです。

それがわからないでいる私たちはいかに阿弥陀さまのお心に背いているかを猛省せねばならないのではないでしょうか。

お恥ずかしいことです。


死ぬまで煩悩から離れられない私たち人間は、南無阿弥陀仏をいただいて、阿弥陀さまのおらたらきにおまかせする他に救われていく道などないのですから。

そこの自覚は仏法聴聞の中でしか知ることはありません。


またまた長くなりましたね、ごめんなさい。

明日は昌平寺さまの坊守さまのお通夜です。

住職は受付係を仰せつかっております。


では、おやすみなさい。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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