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南十字星の輝きは「いのちの不思議」

皆さま、おはようございます。

今日もすっきり晴れましたが寒いですね。

もう10月も折り返しです。また年末の慌ただしさが近づいてきます。もうそろそろ私は年賀状なるものから卒業したいと思っていますが、やはり皆さまは年賀状が必要でしょうか。


さて、もうかなり昔の話にはなりますが一度父ときょうだいで南半球フィジーという国へ旅行をしたことがあります。人生で父と海外に行ったのはこの時が最初で最後でありました。

今思えば大変貴重な思い出でした。

父がお参り先で会社の慰安旅行で安く行ける話を持ち帰り「お前、フィジーって知っているか?安く行けるから行こうと思うんだよ。」と。「へぇ、そうなんだね、いいね」と私は言いましたが、さすがに父と私がお寺を離れる訳にはいかないので「でも、僕は行けないよね」と言うと、「お彼岸明けから、花祭り前だからお前も行ってもいいぞ」と父が言った。

何か嬉しかったなぁ。

まだ弟も小さかったなぁ。

ニュージーランド航空に乗りいざフィジーへ。

フィジーと言えば、この度のラグビーワールドカップにも出て決勝トーナメントに出て善戦していましたよね。

フィジー国際空港から小さな船に乗りマナ島という島を目指しました。外洋の青い海が島へ近づいてくると色が水色に変わった瞬間の鮮やかさを今でも忘れません。綺麗だったなぁ。

マナ島は、日本企業がフィジーから借りていて現地の人を雇うことの条件なのだそうです。

まるでハワイのようでした。ま、南国だから当たり前ですが。

ハワイなら「アロハ」ですよね。

フィジーは「ブラ」という挨拶の言葉です。

朝から晩まで「ブラ」という挨拶が島中溢れていました。挨拶って気持ちいいですよね。

知っている人もいない人も会えば「ブラ」という挨拶ができる。あ〜外国に来たなって雰囲気が実に素晴らしい。

皆さまも是非どなたにでも会ったら元気よく「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」してみてくださいね。


日本が犯罪大国になってしまった原因は、知らない人や嫌いな人には挨拶をしないことだと指摘する人があります。

私もそう思います。

お互いが体温を交わさないから、相手が分からない、理解できない、わかろうとしない。

だから傷つけあうのではないかな。

人間の優しさ、温かさを知る。

人間なればこその温かさは言葉を交わさねば分からないことが多いと私は知らんぷりをされても挨拶を大切にしています。


東京の増上寺へお参りに行くと境内にいるお坊さんが行き来する人に手を合わせ「ナンマンダブツ」と声をしています。全ての人に手を合わせる姿勢に感動します。

確かに京都に居た時も、禅宗寺院などでもお坊さんは皆、出会う人に手を合わせていました。

これは悲しいかな浄土真宗ではまず見かけません。研修時に私がしたら「末田さん、止めてください」と怒られました。何でだろうね。

ハワイなどの開教使経験者はお会いすると必ず握手を求めてこられますよね。

これは私たち日本人にはない習慣です。

体温を交わすことによりお互いを知るためには大切なコミュニケーションじゃないかと思います。

だからか開教使がされせている都市開教寺院はお参りに来られる方が明るく優しい方が多いように感じるのはこの辺りにあるのも知れませんね。(個人的見解ですけどね)


話がそれましたが、フィジーという国のマナ島で見た南十字星が実に綺麗でした。

現地の駐在員さんが案内してくださいました。

「私はこれがいつも見れるからここにいるんですよ。」と満面の笑顔で語っておられました。


九條武子さまのお作りになられました仏教讃歌「聖夜」の歌詞に、

『星の夜空のうつくしさ たれかは知るや天のなぞ 無数のひとみ かがやけば 歓喜(かんぎ)になごむ わがこころ』

に触れたときに南十字星を思い出しました。


この歌奏でる世界は、そのまま私がフィジーで見た大地から見上げていた宇宙とひとつになっていましたね。そして無数の星のきらめきが「天のなぞ」と歌われた【いのちの不思議】へと誘っていくようですね。


思えば今から二千五百年も前に、お釈迦様はインドで暁の明星のもと、「いのちの真実」をお悟りになり、【仏陀】となられたのです。


その時の様子を【法の光が全身にふりそそぎ、全人格をつらぬいた】と記しておられます。

この「法の光」は、「いのちそのもの」のことと言われています。つまりはこれは【いのちの真実】のことではないでしょうか。


浄土真宗の仏教讃歌は私は大変好きです。

皆さまはあまり仏教讃歌は歌われないでしょう。『恩徳讃』も新譜が好きな人が多いですが、私は旧譜が大好きですね。

九條武子さまが『聖夜』の中で、「天のなぞ」と歌われていますのは、阿弥陀さまの【不可称•不可説•不可思議のご本願】、つまり私たち人間の知力では、はかり知れない、説明することもできない、全く不可思議としか言いようもない【ご本願】のはたらきのことではなかったかといただけるのです。


私はあの時、父やきょうだいと一緒に観た南十字星の輝きを思いながら、今は入間市の夜空を仰ぎながら、歓喜(かんぎ)になごむ心で仏教讃歌を口ずさんでいます。

「お父さん〜」あ〜、また涙が出てきました。

悲しい涙ではなく、喜びの感謝の涙です。

ありがとうございました。

僕は本当にしあわせ者です。


あ、今日は【防犯の日】なんだそうです。

泥棒犯罪者の方が自分が避ける場所は「皆が笑顔で挨拶をする街」なんだそうですよ。

まさに挨拶こそ防犯対策に最適じゃないですか。さあ、今日からやってみませんか。


こんなにしあわせにしてもらったのに、【愚痴】なんか言ったら恥ずかしいですよね。

私は今日も、私らしく今を生きていきます。


ナンマンダブツ、ナマンダブ、南無阿弥陀仏

さぁ、皆さまもお浄土で遇う人に今日遇うしあわせを挨拶を交わしながら過ごしていきましょうか。

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