皆さま、こんにちは。
今日はまた暑い日差しが戻ってきました。
洗濯日和でありますね、おかげさまです。
またとない素晴らしい一日を過ごしましょう。
さて、9月もあっという間に終わろうとしています。法務は前半だけバタバタしましたが後半はお暇にすごしながら、入間市ファーストに貢献できような事柄をさせていただきました。
この度は久しぶりに「老いのレッスン」をご紹介します。作家の五木寛之さんの著書を拝見して、この「老いのレッスン」を知ってからは、毎晩寝る前に「老いのレッスン」を実践しています。
といいましても特別なことではなく、「このまま寝て目が覚めなくても後悔しないかな」ということを思いながら今日一日の自らの日暮について思い返してみる。そんな時間を持たせていただいています。
【明日ありと、思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは】
今日もあり明日も当然あるなどと、当たり前などないお互いと知りながら、それでも自分は明日もありますよ、などと自惚れてはいないか。
皆さまはどのような思いで日々をお過ごしでしょうか。
年相応の生き方をしていますか?
「上手に年を取る、上手に死んでいく」
妙心寺[臨済宗]の管長でありました古川大航師は仰っておられました。
私が若かったらとかよく聞きますが、他人と比べないことが大切です。
だって私は私なんだから、他人と比べても仕方がありません。
比べたりするから「悩む」のです。
比べたりするから「苦しみ」が起こるのです。
自分は自分の年齢に相応しく生きればそれでよいのです。
無常世界に生きる私たちは、自分の思い通りにはなりません。
だって、ここに生まれたいと思って生まれてきましたか。違いますよね。
因果の道理の中に生まれてきのです。
生まれた時から不平等でありました。
それぞれが前世でどのように生きてきたかによって様々な人生となるのです。
それを他人と比べたりするから「不足」になるのです。そうした上で自分を「卑下」したり他人を恨んだり、妬んだりしています。
人は動物とは違います。
顔が笑っていても決して幸せや嬉しかったからではありません。その裏側に闇の心を抱えているということは実に多いのです。
また逆に、悲しそうな顔をしていても実はとても裕福で恵まれた人生を歩んでいる人もたくさんおられます。
ただ皆さま、知ってください。
人間に生まれるって凄いことなんですよ。
私は法事での法話で、若い子がいると特に高校生位の子に聞きます。
「あなたは何歳ですか?」
すると、「16歳」と言われます。
「正確な歳を教えてくれませんか?」
ちょっと悩みながら、「16歳と何ヶ月」と。
「それでは60点」
隣にいるお母さんの顔を見る。
お母さんも首を傾げます。
「悪魔のロックバンド聖飢魔IIって知ってる?」
「ボーカルのデーモン小暮閣下が吾輩は10万56歳」と言われていましたよ。
「何故、10万歳なんだろう。別に何億歳でもいいのに。」って不思議に思っていました。
ある時、お寺でお聴聞をしているとご講師が、「人間にはなかなか生まれることは難しい。遺伝子レベルでは10万年、生まれる前に決まるそうです。」と言われました。
その時、「あ〜、ってデーモン小暮閣下の10万歳はそういうことか。」って思ったのです。
彼は早稲田大学出身だから、きっとその話を知っていて「吾輩は10万歳」と言われたのではないかな。
その話を高校生に話すと目をキラキラさせてお母さんと顔を見合せながら頷いていました。
つまりは、お父さん、お母さんがいればこそ私はこの世に人間として生まれてくることが出来たのです。他のお父さんやお母さんではダメだったのです。この不思議な因縁があればこそでありました。
だから当たり前とかじゃないのですね。
そのような大きな因縁の中に生まれた私。
その私にはるか十劫の昔から阿弥陀仏は願いをかけて、しあわせになれよ、浄土にうまれてこいよ、まかせろ救う、とはたらき続けてくださるのです。
それになかなか気づこうとしない私にあの手この手で知らしめようと一番身近なお父さん、お母さんが仏縁に誘ってくださいました。
あなたはあなた、だからあなたの人生を生きてくださいとの願いがかけられているのでしょうね。
もちろん私にもその願いは届いています。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と。
そのことを思いながら生きていく。
だから仕事が少ないとすぐに周りと比べたりして悲観したりしますが、「私にはこれでちょうどよい」と思うように心がけています。
皆さまと出逢えたことが本当に嬉しいから。
なんまんだぶつ、なんまんだぶつ、なまんだぶつ
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