悲しみに出あうとき

皆さま、こんにちは。

秋晴れですね。暖かく感じます。

何も変わらない毎日がある日突然急変するのが

娑婆世界の姿であります。


失って初めて気づくこと、皆さまはございませんか。私は令和4年(2022)がまさにそうなりました。


まさか、まさかのことが次から次へと襲ってきました。日頃から娑婆世界は諸行無常だとお聞かせいただいているというのにもかかわらずこの有様であります。


この世に生を受け55年、ずっといてくれた父母を2か月の間に相次いで見送らねばならなかったことは、ただ悲しいとか寂しいとかそういった感情的なものではなく、まさに私の人生すべてをかけて受け止めていくべきものでありました。


誰もが一度は経験しなくてはならない「親」との別れであります。そして私自身がこの世を必ず去らねばならない事実を二人は身をかけて教えてくださいました。もうこの世にはいないですが、今は還相の仏さまとして、南無阿弥陀仏のはたらきとなって私によりそい続けています。

それはただ寄り添っているだけではなくて、南無阿弥陀仏をしっかりと【生きる灯火】として生きていきなさい。

そして私たちが参らせていただいた【お浄土】へ生まれてくるのですよ、と喚んでいてくださいます。


もう生まれ変わる(人間に)ことはありません。

だって南無阿弥陀仏をいただいたならば迷いの命(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を離れ悟りの命になるのですから。


悟りの命とは、

浄土に生まれたならば、

二度と老いていく苦しみも歳を取る苦しみも病となって苦しむことも、そして死んでいく苦しみもなくなるのだから。

⤵️

それを仏教では、【往生】というのです。


しかしながら父がこの世を去ってまだ1週間。

煩悩具足の凡夫である私には喪失感が我が身を離れてはくださいません。


『拝読 浄土真宗のみ教え』〈本願寺出版社〉

には、

「凡夫」

凡夫といふは無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおほく いかり はらだち そねみ ねたむこころおほくひまなくして臨終の一念にいたるまで とどまらず きえずたえず


[現代語訳]

凡夫は、命終わるその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う。すべてのことを私中心にみて争いをおこし、欲望•怒り•妬みに、心と身体を悩ませ苦しみ続ける。

仏法に出あうとき、煩悩に満ち満ちている凡夫は、他の誰のことでもなく、この私のことと気づかされる。

念仏(南無阿弥陀仏)申すひぐらしの中に、ありのままの私の姿を見せていただく。


◉二人が身をもって一体何を残し、何を願い、何を伝えてくださったのかを、これから少しずつ、少しずつ、愚かな私は尋ねていきたいと思います。

お父さん、お母さん、寂しいけどずっと有難うございました。感謝しかありません。

大好きでした。これからも変わらず大好きです。

まだまだあなたたちを想えば悲しくて涙が止めどなく出てきます。

あなたたちが私にくれたもの、宝のお念仏、ナンマンダブツ。



南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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