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執筆者の写真超法寺の住職

先立ちした方をどう受け止めるのか

皆さま、こんばんは。

今年もいよいよ後2時間となりました。

我が家は既に年越し蕎麦は済ませました。

後はゆっくりバラエティ番組を楽しみながらカウンドダウンに臨みたいと思います。


そういえば、漫才師「昭和のいる•こいる」の、こいる師匠が30日に亡くなられていたとニュースで知りました。77歳だそうです。ボケ担当でしたが相方の話を聞かないで、

[へーへ、ホーホ、]「しょうがない、しょうがない]と、すぐに謝り、話を聞き流す•••カラオケも頭にハンカチを乗せると流暢に歌うというコミカルな漫才が私はとても好きでした。


謹んでお悔やみ申し上げます。合掌念仏


さて今年もたくさんの方々がお亡くなりになりました。若い人からお年寄り、有名人、芸能人に至るまで本当に寂しくなりました。

私も必ず近いうちにそうなるのでしょう。

それまでは、この命をかけて入間市に爪痕を残しておきたいと思います。


さて、その亡くなられて行かれた方は一体どこへ行かれたのでしょうか。

よく皆さんは、「天国へ」などと言われますが、人も動物も死にさえすれば行けるような世界ではありません。ましてやペットが死ねば虹の橋を渡って•••などと言われる飼い主さんが多いですがそれは大きな間違いですよ。


神との契約を果たさなければ天国行きなどありませんから。


では、私たち浄土真宗ではどうでしょうか?

よく、「死ねば仏」などと言われますがこれも正しくありません。


本願力のはたらきによらざれば、迷いを離れることはありませんから、さとりには至りません。

『浄土真宗の教章(私の歩む道)』

「教義」には、

【阿弥陀如来の本願力によって信心を恵まれ、念仏(南無阿弥陀仏)を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」と、はっきりと示されています。


親鸞聖人は、

【つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相(おうそう)、二つには還相(げんそう)なり。往相の回向について真実の教行信証あり。】〈『注釈版聖典』135項〉と説かれています。


※二種のめぐみがあります。

一つには、浄土に生まれさせていただくめぐみ。

二つには、浄土から煩悩によって濁っている、この世に還らせていただき、凡夫のこの私を教化するめぐみ。

【自覚覚他】(じかくかくた)

仏にならせていただくとは、自ら目覚め、あらゆる生きとし生けるものをも目覚めさせること。

姿、形を変えてでも濁世のただ中に還って、目覚めをよびさまし、同じお浄土に生まれさせようとはたらき続けるのです。


何と有り難いことでしょうか。

自分だけ楽な世界に生まれてしあわせになるのではないのですね。

あらゆるものをお浄土へ生まれさせる仕事をされているのです。

ということは、私より先に参られた方々は、実は仏さまであったのではないかと私はお味わいさせていただいています。


有り難い、有り難い。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、なまんだぶつ。



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