皆さま、おはようございます。
今朝も寒いですね。ゴールデンウィークが終わった途端、またまた季節が逆回りになったようで北海道では雪が降っているようです。
異常気象なのか、はたまた私たち人間の生き方が異常になっているのか、はたまたどちらもなのかもと思ったりもします。
毎日報道される資産家夫婦殺害事件はさまざまな人間模様を見せています。
すこしずつ見えてきた事件の背景。
店を譲るが譲らないになったからというが、それは譲られるはずの者からすれば話が違うと腹を立てるであろうが、それで殺意が芽生えるとしたら悲しい話であります。
人間の都合は日々変わります。だから人間の言葉はアテにはなりませからね。
親鸞聖人のご和讃には、
「無明煩悩しげくして 塵数のごとく遍満す、
愛憎違順することは、高峯岳山にことならず」と、私たちは愛と憎しみの二つの縁によって、人生を織りなしているのです。
【愛憎二縁】といいます。
私の生き方、方向に味方をしてくれる者は好きだ。いい人だと喜びますが、反対に邪魔されると嫌な人だと思うし、好きにはなれません。
家族だってそうだから、他人なら尚更です。
特に私は血液型が示すような典型的な人だから困ります。だからこそナンマンダブツを常に我が口にいただかねば安心なりません。
お恥ずかしいです。
そういえば私たちの生活がなかなか争いから解放されないのはお墓を見たらよくわかります。
いつも霊園に行くとそう感じています。
この辺りでは先ず仏さまがいらっしゃいませんからね。浄土真宗の教えが土德としてあるところ、広島県や北陸、九州では、【南無阿弥陀仏】、【倶会一処】を彫る方が圧倒的であります。
阿弥陀如来を仰ぎながら、阿弥陀如来の大慈悲心のおはたらきのまま往生されていかれた方を偲び、遺されたものもまた遇わせていただくんだと、ご恩を喜びながら阿弥陀さまの、親鸞聖人のみ教えを聞かせていただきながら南無阿弥陀仏をこの口にお称えしていくのです。
だから、「おかげさま」、「有難う」が日々の生活に満ち溢れているのです。
逆にそれを知らずに人生を終えますと、「俺が」「私が」から脱却することができずに、せっかくのお墓がお互いの争いの場となっているように見受けられます。身内とか、他人とか、姓が違っているからダメとか、一旦家を出た者は入られないとか、宗派が違うからダメだとか争いばかりしている。
そんなことならお墓なんか要らないんじゃないでしょうか。
親鸞聖人は、自ら亡くなられるときに「鴨川に流して魚の餌にすべし」と、仰られたそうです。
それほどのことなのです。散々あらゆる命に迷惑をかけてしか生きていけない身の自覚が親鸞聖人にはあったのでしょうか。
生前、欠かさずお寺参りをされ仏法聴聞を重ねて生き抜かれたある方は墓石に【倶会一処 南無阿弥陀仏】と彫られました。感動しました。
墓石の後ろには【念仏には無義をもて義とす】と彫ってありました。
今までこのような素晴らしい文字をお墓に彫っておられる方を私は見たことがありません。もちろんお寺さんでもありませんね。
※【お念仏に人間の善悪のはからいは要りません】という意味であります。
あなたまかせの往生の道が南無阿弥陀仏であります。お浄土参りの条件でも引換券でもありません。ここの受け止め方、聞き方で自力と他力の生き方が分かれているのでしょうね。
浄土真宗の人は、合掌すれば口に南無阿弥陀仏がお称えするのが基本であります。
人から促されてするものでも、黙ってするものでもないのです。
人間は心から嬉しかったら、自然と口に南無阿弥陀仏(有難うございます)が出てくるのです。出ないのはそうではない私の姿があるのでしょう、私はそうお聞かせいただいています。
皆さまはどうですか、口が南無阿弥陀仏と声になっておられますか?
浄土真宗のお念仏は【称名念仏】ですよ。
サヨナラしない道であります。また遇える道であります。天国でも地獄でもありません。阿弥陀如来がお建てくだされたお浄土へ参らせていただくのです。
是非、この命ある内に南無阿弥陀仏をお聞かせいただいて、南無阿弥陀仏を口にいただける私になりましょう。
それが故人の、ご先祖さまの皆様への願いでありますから。
さてさて私は今日も引越し荷物を運びます。
庭の掲示板を撤去しないといけませんがなかなか頑丈で•••••。腰の激痛を堪えながら私は頑張ります。頼りは自分だけですもの。
これは自力なんですよ、生活ではね。生き方は阿弥陀さまとご一緒だから心配ありません。あなたまかせの我が人生ですから。
皆さまもどうぞご自愛くださいませ。
なるようにしかならないお互いであります。
やれることをします。しかし長生きしていると捨てられないものだけが増えていますね。お寺ですと備品の量が半端ないです。倉庫が必要ですね。ま、おいおい考えますよ。
一問一答を南無阿弥陀仏に問いながら歩んで参りましょう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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