皆さま、こんばんは。
今日は茨城県土浦市の佛照寺さまの秋季彼岸会布教へ出向しました。5.6年ぶり3度目でした。参詣者はほぼ満堂でありました。
なかなか布教にお呼ばれする機会が無い中ですが本当に有り難く思います。
この度は「弥陀をたのめ」という「たのめ」とはどういうことなのかについてお取次しました。
私たちは「たのめ」と聞きますと「お願いする、依頼する」という解釈をしますが、実はそのような解釈は江戸時代からなんだそうです。
親鸞聖人は鎌倉時代に生きた方ですので「たのめ」の意味は解釈は違うのです。
真反対で「馮め」という字で表されました。
「馮」とは、阿弥陀さまからの願いを素直に聞いて、聞いたまんまを受け入れていくのだそうです。
皆さまは、お参りをされる時は合掌と両手を合わせるでしょう。
片手は阿弥陀さま、もう片手は煩悩で常にフラフラしている私です。阿弥陀さまは私に沿って動いてくださいます。その上で、まかせてくれよ、と願い続け南無阿弥陀仏の声となり届いていてくださいます。
合掌をした手を内にぎゅうっと力を入れてみると、その両手は動きますか?
動かないですよね。つまりは私と阿弥陀さまが一対から一体となっているのです。
これがまかせたということなのですね。
こうなれば、もう阿弥陀さまのお慈悲の中に身を置いているので安心であります。
何があっても常に南無阿弥陀仏を我が口に称えて生きていくのです。
浄土真宗は私が頑張るのではなく、阿弥陀さまの一人はたらきに身をまかせていくのです。
ですから私の信心も阿弥陀さまによってなされるのです。
このようなお取次をさせていただきました。
布教後、控え室でご住職から、「法話の途中で席を離れた女性がいたでしょう。その方がご講師(私のこと)のお話をもっと聞きたかったです」とおっしゃってましたよ、とお話しくださいました。有難いですね。
私は決して面白おかしい話などできないのですよ。特に一席という限られた時間では、きちっとしたご法義を取り次ぐことが最優先になってしまうので余計に楽しい話ができません。
それでも「もっと聞きたかった」と言っていただけたことは勿体無いことですね。
佛照寺さまには隣のお寺のご門徒もお聴聞に足を運んでくださるとのことです。今回私の最前列右側の方々がその方だったそうです。
これまた有難いことですね。
この度、佛照寺さまでお遇いさせていただいた方々はお浄土までご一緒の方々でした。
そのような方たちに今日お遇いさせていただけたことは実に尊いことでありました。
改めて私は布教が好きなんだなぁ、ナンマンダブツの人たちに遇わせていただけることがしあわせに感じられるんだなぁと改めて思いました。超法寺の秋季彼岸会は次の土曜日です。
是非お参りしていただきたいと思います。
ご住職、坊守さま、若院さま、ご門徒の皆さまには大変素晴らしい仏縁に遇わせていただきました。衷心より御礼申し上げます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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