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何もかも我一人のため

皆さま、こんにちは。

今日は夕方を迎えて肌寒くなりました。

私は今日は浦安市までご法事へ行きました。

行きは二時間、帰りは三時間、下道を走りました。

なかなかの疲労度ではありますがまた新たなお出会いをいただき嬉しく思いました。


お施主から過去帳への法名記載をお願いされ、我ながらなかなか良い字が書けました。

ずっと残るものだからね、あまり恥ずかしい字は書けませんよね。

亡き父のような達筆にはなりませんけど、亡き母は、「お兄ちゃん、筆字上手くなったわよ」と最後に言っていただきました。

お母さん有難う。


さて、宗祖親鸞聖人の常の仰せに、

【弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業(ごう)をもちける身にてありけるを助けんと思召し(おぼしめし)たちける本願のかたじけなさよ】とあります。


《この一枚が重いよ》

病床を見舞って今、病室を立ち去ろうとした私の背に投げかけられた友の一言。

私はハッとして足を止めた。


「大切になぁ、春になったら酒も飲めるようになるよ、その日を楽しみにまた来るよ」と、表面上はその場限りと思われるような慰めを残しながら、内心は恐らくこれが最後になるだろうな〜との思いを抱いて帰っていこうとした私の心を見通すように呟いた彼の言葉には「真実」を語る重みがありました。


「エッ」と振り向いた私は、ベッドから差し出す彼の手に、しっかりと握られている一枚の紙片を見たのです。

それは今では滅多に目にすることのできなくなった《日めくり》でした。

しかも昨日の日付のものでした。

この一枚が重いー何と深い意味のある言葉でしょう。この一枚に彼は一日の「いのち」の重みをズッシリと感じていたのです。


生かされて生きる「いのち」の尊さを有り難く拝受されました。


余命いくばくもない自分の命を見つめて今日一日わやいただいて生きる彼の尊さを静かに合掌せずにはおられぬ私がいました。


今日ひと日、恵まれたこのひとときだからこそ、尊くいただいつた生きていくー何と素晴らしい。

と、しばらく絶句しました。


【何もかも われ一人のためなりき 今日一日のいのち尊し】


※この姿はまさに亡き父が私に見せてくれたものでありました。

母が亡くなり誰よりも一番落胆していた父。

いつでも、「伸子が•••」と私の披露宴挨拶の時ですら「伸子」隣にニコニコ立っている母を気遣い披露宴招待方々の前で涙した父。

「おい、おい、俺のことはええんかい」と、私は驚いたものでした。

懐かしいですね。


あまりにササっと往生していかれたので未だに不思議な感覚に包まれています。


【明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは】

(親鸞聖人お得度の際に詠まれたと言われる有名なうた)


今このようにブログを書く私もいつ我が身の無常が訪れるかわかりません。

もういただいたから、このまま行くだけです。

でも、ウチの子たちを置いていくわけにはいかないからなぁ、しっかり頑張っていこうか。

でも、その時はいつ訪れるかはわかりません。


だからこそ「今」を大切にして生きたいですね。


皆さまも、どうぞ大切にして生きてくださいませ。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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