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執筆者の写真超法寺の住職

何で驚かないんだろう

皆さま、おはようございます。

今朝も良い天気に恵まれました。

私、本日56歳を迎えさえていただきました。

56年前、東京都墨田区で産声を上げたのですね。お母さん有難う。

お母さんは、「何よ、お母さん幸せだったのよ」って笑っていたなぁ。


また今日からご本山では「親鸞聖人御生誕850年、立教開宗800年慶讃法要」が始まります。

超法寺として初めての参拝を来月24日に控えていますが待ち遠しいです。

皆さまも是非可能な限りお参りされていただけたらと思います。ご先祖もお喜びくださいますよ。


今朝の言葉

【不思議とはなぁ 凡夫が仏になることよ】


※凡夫とは、死ぬまで煩悩から離れられないもの

そういう者は全ての神仏から見放された悲しき存在。

そのような凡夫こそをお救いのど真ん中にしてくださるのは阿弥陀如来ただ一人です。

その阿弥陀如来を私に知らしめてくだされたのは他ならぬご先祖なのです。

それなのに有難いとも、南無阿弥陀仏をも申されないなんて何て親不孝なのでしょうか。

それでも、それでも阿弥陀如来は私を見捨てずに、「聞いてくれ、受け止めてくれ、南無阿弥陀仏と称えて私が建立した二度と苦悩しない安穏な浄土へ生まれて、二度と輪廻転生しない仏になってくれ」と、今も喚び通しに喚び続けていてくださいます。

それはまるで我が親が私に名前を付け、その名を呼び続けてくださったように。

親心を知るのは、親がいたからではないよ。

親の我が子を想う心が届いた時だと私は思います。


親心は親がいつも先手なのです。


はねつけても、逃げても、歯向かっても無駄です。いつも親が先だから。

親が「お前の親だ」と名乗ってくれたのだから。


当たり前じゃないかと、当たり前ではない素晴らしいに気づけたのはいつだっただろうか。

きっと、私が素直になれずにいたのに、お母さんが私がふてくされながら称えた南無阿弥陀仏を「お母さん、嬉しい!」と、喜んでくれた後ではなかっただろうか。

生前、母は「それはお兄ちゃんのネタでしょ。お兄ちゃんは布教使だから。お母さんそんなことしていないよ」と笑っていた。

お母さん、ネタなんかじゃないよ。

親は自分がしたことを忘れられると聞きました。我が子のためにしたことを親は見返りを求めずするのです。


まるで阿弥陀如来が南無阿弥陀仏を届けていてくださるように。

私はそこまでしないと、愚痴の口にお念仏をいただけないのだから。

お母さん、また「お兄ちゃん」って呼んでほしいよ。

また泣いちゃった。

お母さんはきっと笑うんだろうね。

「何よ、お兄ちゃんは」って。


また一つ歳を重ねさせていただきました。

お父さんお母さんのおかげであります。

あなたたちの子どもになれて良かった。


今日もまた頑張るね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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