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何が起こっても不思議じゃないの

皆さま、こんばんは。入間市の空はどんよりどよどよしてきました。雨になるのでしょうか。綺麗に咲いた桜も早くも散ってしまうかも。

一年待って心待ちにしていた桜なのに、春の嵐は待ってはくれません。これぞ諸行無常です。

待ったなしです。


私たちの人生は娑婆世界だもの、何がいつ起きても何ら不思議ではありません。

午前中には宮崎県、鹿児島県で震度5弱の地震が起こりましたね。台湾の地震から一週間、皆繋がっています。他人事などと気を許していたら明日は私が避難所暮らしになるやもしれませんよ。準備はいいですか?


⚪︎子どもがいても、老人ホームのお世話になるかもしれません。

⚪︎手足を縛られて死んでいかねばならんかも知れません。

⚪︎私が死ぬるのを待たれて人生を終えるやも知れません。

⚪︎看病してもらいたい方が介護して苦しんでいかねばならないかも知れません。

⚪︎家の大黒柱を失って路頭に迷うこともある。

⚪︎自分が脳梗塞で身体が不自由になることもある。

[たった一例でありますが、人間とは常に満たされることがない生き方であります。無くてもいい。有ったら尚更いい。そういう生き方をしたいと私は常々思っています]


苦悩の世界に生きる私だもの。

人間世界は娑婆世界で悟りとは無縁です。

苦悩の群生海だもの、どんな苦悩、災難にもあわにゃならん[私は今それに身を置いています]時は遭わなきゃならん。

病気からも逃れられません。

そりゃそうよ、それだけ暴飲暴食して、お酒を浴びるほど飲んで、吸いたいだけ喫煙して、その上、歳老いて腰も曲がる(カルシウム不足)、身体も弱る。頭もボヤけてくる。

自分自身の身体を持て余し、他人の世話になり、それでも感謝の言葉が出てこない。

お金を払っているんだから、何で御礼など言わなきゃならんのかと強がっているが、行き場のない程の悲しさ、寂しさが夜の病室にこだまします。ただ空しくナースコールが響く。


これが南無阿弥陀仏を我が身にいただきながら日暮らしを送ることのない人のこれからの人生ではないでしょうか。


 老患のおさえた声の念仏が、かすかにきこゆ

 消灯時間。


まだ間に合うのならいただいておきましょうや。すぐに間に合わなくなりますぜ。

 

 「私たちのちかい」

自分の殻に閉じこもることなく、穏やかな顔と優しい言葉を大切にします。

微笑み語りかける仏さまのように


むさぼり、いかり、おろかさに流されず、しなやかな心と振る舞いを心がけます。

心安らかな仏さまのように


自分だけ大事にすることなく、人と喜びや悲しみを分かち合います。

慈悲に満ちみちた仏さまのように。


生かされていることに気づき、日々に精一杯つとめます。

人びとの救いに尽くす仏さまのように。


声に出して読んでみたいものです。

あなたも、あなたの嫌いなあの人も阿弥陀さまの慈悲心が注がれています。それを忘れずに共に手を取り歩んでいきたいものですね。

そこに気づいていくことは大切なことです。

なかなか難しいものではありますが。

自我が、邪魔をしますからね。


南無阿弥陀仏

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