住職のファンになりました
- 超法寺の住職
- 6月21日
- 読了時間: 3分
皆さま、こんばんは。
週末のお休みはいかがでしたか。
暑さも明日以降、梅雨空が戻ってくるそうなので楽しみましょう。
台風も日本に近づいているようです。
また明日は東京都議選があります。
これだけやりたい放題に搾取されている昨今、それでも現政権与党を支持するのか、また新たな日本人ファーストに未来を託すのか、投票に行くしか変わるチャンスはございません。
投票行動を放棄するということは、「何も問題ありません。このまま政治をやられてください」という意思表示になります。
このような有権者が1割でも減ってくだされば、かなり変わると思いますよ。
埼玉県民のわたしは静かに見守りたいと思います。さてさて。
今日は東京都板橋区でご縁をいただきました。
業者からの依頼で通夜葬に引き続きのご法事でありました。確かに近くではありませんが、故人さまがこの私をお呼びしてくだされた大切な仏縁ですから有り難いことでした。
先程、お施主様からお電話をいただき、「ご住職のファンになりました。大変嬉しかったです。きっと亡き父が私たちのためにご住職を遣わしてくれたんじゃないかと思っています」と、おっしゃいました。
この言葉は何より嬉しいお言葉でした。
私は阿弥陀さまのお使いをする身ですから、このようなお言葉をいただくということは、阿弥陀さまの願いが届いてくださったのかと思います。
「なかなかお寺まで足を運ぶことは難しいと思いますが、今後もご住職にお願いしたいと個人的には思いました。」という御礼の電話をいただきました。頭が下がりますね。
私は「師匠」ではなく「使い」ですから。
阿弥陀さまの本願力を皆さまにお伝えすることばかりであります。
このような私が皆さまから喜んでいただけるなんて勿体無いですね。
ただただ嬉しいばかりであります。
高松悟峰先生のお言葉、
声に姿はなけれども、声のまんまが仏なり。
仏は声のお六字と、姿を変えて我に来る。
南無阿弥陀仏と呼んでいてくださいます。
原口針水先生は、
我となえ、我聞くなれど南無阿弥陀
連れてゆくぞの、親のよび声
と申されていらっしゃいます。
親心をあの手この手をかけて、わからないこの私を見捨てずに、南無阿弥陀仏と喚び通しによんでいてくださいます。
私の信心など当てにしていません。
待っていたら間に合わないから。
それを南無阿弥陀仏の声として先手を打ち、届けていてくださいます。他力です。
私にわからなくても、忘れても、わかっていてくださる、忘れなどしない親、それが南無阿弥陀仏の阿弥陀さまであります。
私も改めて、もう少し味わい深くお伝えできたらと思いますが、今はこれが精一杯です。
良き仏縁に感謝申しあげます。
今日一日、許されての一日でありました。
許してくださった方々有難うございました。
そして申し訳ございませんでした。
明日以降に生かしてまいります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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