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執筆者の写真超法寺の住職

住職さん、助けて〜

皆さま、こんにちは。

今日は仕事もなくゆっくりしています。

昨日は実家から帰るとき、雪駄が雨で滑って階段から滑り落ちちゃいました。

幸いにも頭も腰も打たずに滑り台を滑ったような感じでほとんど痛みはありませんでした。


30年いて日々昇り降りしていて一度もそんなこと無かったのになぁ。驚いたよ。

またお母さんが守ってくれたのかな。

「もう、お兄ちゃんたら」って言われそうだな。


朝起きたら脚付け根が軽い打撲で痛む他は大丈夫そう。丈夫な身体に育ててくれた親に感謝ですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


さて、今日はご近所の犬友さんから、「ご住職、老いていた保護犬が亡くなってしまったからお庭に埋めてあげたいんだけど、誰も頼る人がいないの。ご住職にお願いしてもいい?」と言われました。


「そりゃあ、喜んで手伝うよ。そのための超法寺だからね。」と、二つ返事で鍬とスコップ片手に駆けつけました。

小雨の降る中、生ききって亡くなっているワンちゃんのため力仕事頑張りました。

普段、めったに大汗かいての力仕事なんかしない私ではありましたが、頼りにされた嬉しさに頑張りました。


何とか無事に埋めてあげれました。

大層喜んでくださいました。

ここへ来て初めてだからね、充実感。


「ご住職、毎日お線香あげますね」と、言われたので私は「しばらく経ったらお花を育ててあげてくださいよ」と言いました。

そして一番は、「ナンマンダブツ」と、声にしてお供えしてあげるのが一番ですよ、とお伝えしました。


阿弥陀如来さまは、あらゆる命を我が子のように思い、喚び続けていてくださいます。

ワンチャンロスもあるでしょうが、悲しみのどん底にある私に阿弥陀さまは添い続け、喚び続けていてくださるのです。


「まことの命に目覚めてくれよ」


我が名(南無阿弥陀仏)を称えて、浄土に生まれてくれよ、と。

ワンチャンは、言葉を持ちませんから自らはお念仏は称えられません。

だからといって阿弥陀さまのお救いから漏れるなどありません。

あらゆる命にはたらいてくださる仏さまなんだもの。


では、一体どうすれば。


それは飼い主さん、あなたが(人間)南無阿弥陀仏を称える人になることが大先決です。

それができたら、亡くなっていったワンチャンが、飼い主さんにとっての【善知識】さまですから。

※善知識(ぜんぢしき)とは、私を仏法に導いてくだされた方を言います。


あらゆる命がなかなか仏法に遇わない私たちに、あの手この手で誘おうとされます。

私はそれこそが還相(げんそう)のはたらきではないかと、お味わいしています。


ですから、阿弥陀さまのお救いから漏れる命などありはしないのです。

それをペットは畜生だからと捨ててしまうのは阿弥陀さまではなく、迷いの命に生きている人間の浅はかな知恵の姿ではないでしょうか。


だからこそ、私たちは日頃から仏法聴聞して生きていくことを先人が勧めていてくださるのではないでしょうか。


そういった意味においても、この度は素晴らしいご依頼をいただきました。


とは言うものの昨日の今日、なかなか身体には堪えますね。いたたたた。

有り難きしあわせとはこういうものなのですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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