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執筆者の写真超法寺の住職

他人事ではないのです

皆さま、こんばんは。有名芸能人が相次いでお亡くなりのニュースが

ありました。つい先日、エスパー伊東さんがお亡くなりになったという

のに、伊東さんと30年の付き合いで兄弟のような関係であったと言われ

る電撃ネットワークの南部虎弾さんも脳卒中で急死されたという。

彼は私と同じ病を抱え、かなり悪い状態であったのに、芸のために生き抜かれたそうです。人生無常の理の中です。若かろうがそうでなかろうが待ったなしであります。私もいつ同じようにこの世を去ることになるか見当もつきません。

ただ、せっかくこの世に生まれさせていただいて、この歳まで育ててくれた親に孝行すること。何より南無阿弥陀仏を一人でも多くの方にお伝えすることが私の使命だと思っています。その上で贅沢な夢を見ているのは未来に浄土真宗本願寺派の寺院をこの入間市に残したいというものがあります。


きっとエスパー伊東さんと南部虎弾さんは後世まで皆の記憶の中に残っていくのでしょう。私もそんな住職になって往生したいと思っています。

誰にも命の長さはわかりません。それぞれの役割があるのです。

こうなったら良いとか、そう思ってもそうなるとは限りません。

この世で会えたのは「会う縁」があったからです。

縁がなければ会うことはありません。

それは嫌いな人、嫌な人も同じように縁があればこそ出会ったのです。

仏教を開かれたお釈迦さまは、「愛別離苦」とか「怨憎会苦」とも仰っています。

この世は諸行無常です。つまり迷いに溢れている世界に私たちは身を置いています。

つまり、どんなことでも起こる世界。どんなにそうなりたくなくても縁があればそうなっていくのです。人間の生き方はこうなったら幸せで、こうならなかったら不幸というものではありません。

たとえば、結婚したら幸せとか、独身なら不幸とか、子どもがいたら幸せとか、子供に恵まれなかったら不幸とかはどうでしょう。

子どもが居たがために苦しまねばならなかった人もあると思います。

今回の大震災でも、連れ合いが、子どもが居たから泣かなくてはならなかった方がたくさんおられたのではないでしょうか。そうではないのかも知れませんけど。

このように人間世界を生きるとは常に「苦悩」であるのです。

そのような中をどうすれば幸せに生きていけるのでしょうか。


私は、これでちょうど良い。


こういう精神状態になれることが安らぎとなるようにしか思えません。

不足を言ってもどうにもならないのですから。

なるようにしかなりません。こうなりたい、こうしたいと夢を見ても、縁が伴わなくてはそうのようにはならないのであります。人間は皆わがままだ。

いつも、尾崎さんの『僕が僕であるために』を聴きながら自身を見つめています。

こうやって人々は常に無常を感じながらもがいているのではないでしょうか。

もちろん、お釈迦さまも、親鸞聖人もそうだったことでしょう。

その中で、自身の生き方を見つめながら仏法聴聞を重ねながら自問自答して生きていく。ナンマンダブツを心の灯として阿弥陀さまのお心のままに生きていきたい。

そう思う今日この頃であります。阿弥陀さまの願いは衆生を(命)選びません。

でも、それでも電撃ネットワークは刺激的でした。衷心よりお悔やみ申し上げます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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