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執筆者の写真超法寺の住職

仏法聴聞の心得について

安芸門徒と言いますが、昔から仏法聴聞を欠かさず、人生の生きる道を南無阿弥陀仏のお念仏とし、苦難を乗り越えてこられました。


関東にはなかなかない習慣ではないでしょうか。

しかしながら、仏縁は他ならぬ人間が結ぶべきものでありますから、先人に倣い努めるべきではないだろうか。


確かに芸能人も広島県出身の方は数多くあります。

西城秀樹さん、矢沢永吉さん、綾瀬はるかさん、有吉弘行さん、風見しんごさん、吉川晃司さん、クロちゃん、浜田省吾さん、奥田民生さん、Perfume、原田真二さん、ポルノグラフィティ岡野昭仁さん、城みちるさん等々実に多彩な人たちがおられます。


少なからず皆さまは、浄土真宗のみ教えに触れられていると推察します。


安芸門徒さんは、お寺参りを欠かしません。

喜びを感じて生きています。

お盆も【歓喜会】(かんぎえ)と言います。


そういう中、私の源流であります広島県山県郡の円正寺の寺史にはこのようにありました。

ご紹介いたします。


【聴聞の心得について】


頭を下げよ、ご恩がわかる


頭を下げよ、教えが聞ける


教えを聞いたら、道が開かれる


教えを聞かないと、道が見えない


道が見えた者に、念仏がある


頭が高いと仏教は身に入らぬ


聴聞する者よ、金と時間を惜しむな


仏法は、聞ける日に積極的に聞け、やがて

聞けぬ日が来る


頭を下げて念仏する者にこそ、正定聚不退の

位に住す


※素晴らしいお言葉ですね。

私も若い頃から、手は後ろで組んではならないぞ。

後ろで組んだら頭は下がらないからな。

手は必ず前で組みなさい。すると簡単に頭が下がる。これはずっと実践していますよ。

皆さまも是非やられてみてください。


お寺には偉い人はなかなか参れない。

「長」の付く肩書きの人もなかなか参れないという。なぜか?偉い人は頭が下がらないから。

頭を下げるのは偉い人ではなく部下が下げるから。

なるほどなるほどでありますなぁ。


また学歴を誇る人もなかなかお寺には参れない。

知識があるから、自分はよくわかっているから。

そう思えば思うほど参れないものだ。

しかしながら学校では残念ながら、「今、急がねばならないもの」は教えてくれません。


仏法の中にこそ答えはあるのだから。


とかく若いつもりでいるのに、決していつまでも若くない自分。


元気なつもりでいるのに、どうも体調を気にせずにおれない自分。


死とは全く無縁だと思っていたのに、周囲を見回して何となく死が気になりだす自分。

そんな私の存在に気づいたとき、

「これは大変、ただならぬことよ」

【私は一体何のために生まれてきたのか】

【私は一体何のために生きているのか】

【私はこれから一体どうなっていくのか】

これを自らに問いかけて答えはありますか?

⤵️

み教えと私との出会いを知らされる。


《人身受けがたし いますでに受く

仏法聞きがたし いますでに聞く》


答えはただ一つ!

 この世に生まれたのは、仏法を聞くためであった、との喜びが私の前身を揺り動かすのです。


誰のためでもなく、今ここに生きる私のためであったと気づいたとき、亡き人のためが亡き人が願っているのは仏法を聞いて確かな人生を生きてくれ!

という気づきがあるのではないだろうか。


先人たちの素晴らしい生き方を私は真似て生きていきたいと思いますよ。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏



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