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仏教の「愛」

皆さま、こんにちは。

激アツですが、いかがお過ごしでしょうか。

九州では未曾有の大雨被害が出ているようですね。お見舞い申し上げます。

雨は降らなくても人間は不足を言い、降りすぎても不足が出ます。悲しいことです。


さて、みなさまは「愛」に包まれて日々お過ごしでしょうか。

この度は仏教でいう「愛」についてお話しします。


宗祖親鸞聖人は、「あわれみ」、「かなしみ」、「はぐくみ」のことを「いとおし慈しむ」と、おっしゃっていますが、これは言葉を変えて言えば「愛」です。

この「愛」という言葉は何か温かな素敵な言葉ですが、仏教で「愛」というとあまりいい感じでは使われません。


「渇愛」(かつあい)

求めれば求めるほど渇いていくという意味。

愛は求めれば求めるほど渇いていくでしょう。


「愛欲」(あいよく)

『大無量寿経』に、「人は皆世間の中にあって独生独死独去独来(どくしょうどくしどくこどくらい)」と書かれています。

愛欲は【独生独死独去独来】である。

人は一人では生きていけません。

一人で生きていけないから人間と書くのです。

人間というのは【人の間】でしか生きていけません。

一人では生きていけないけれども生まれてきたときには一人です。

だから友だちを作って、知り合いを作って、一緒に働き一緒に暮らす人をこしらえていく。

その中で自分の立ち位置や自分の存在というものを作り上げていく。そして人の間の中で人間になっていこうとする。人を人間にするのは人なのです。

私たちは、独りぼっちになりたくないと思ってこの独生独死という現実に逆らって生きるわけです。一生懸命勉強して一生懸命仕事をして家族を養って子どもを育てるというのは、すべてこの【独生独死】への抵抗ではないでしょうか。ま、私は独り身ですから若干皆さまとは違うのかも知れませんが、やはり行き着く場所は一緒ではないでしょうか。


私もずっと逆らって生きてきました。

結婚もしてみた。一人は嫌だから。

でも二人で何も積み上げることはできずに、お互い側に一人ものがいただけでした。

情け無いですよね。

人は一人ということが一番辛い。

一生涯かけて独生独死という私の現実に逆らって生きる、これが【愛欲】です。


親鸞聖人が言われた「あわれみ、かなしみ、はぐくみ」は誰に対してですか。

それはやはり自分に近い人でしょうね。


すべての命は平等だと言っても、災害で多くの人が亡くなったと聞いても、うちは被害がなくて良かったと安心していますよね。

でも自分の家族や子どもや孫、親戚が災害に遭って苦しんでいたら何とかしてあげたいと思うわけです。

ニュースで子どもが誘拐されて殺されでもしたら、もし自分の子どもがそうなったら悲しいだろうと、自分の身近な人に置き換えて悲しんでいるのですよね。


だから「あわれみ、かなしみ、はぐくみ」は、外に向かっての思いであるように錯覚するのですが、実は私が一人にはなりたくないという思いなのですね。

『歎異抄』には、「おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。」

助け遂げることはできない。

それどころか、本当に救わなければならないのは他ならぬこの私であるということです。


人を助けたいと思っていたら、もっとも救い難きのは誰でもないこの私であると。

そう変わるのです。

自分を差し置いて人を助けたいと思っても現実にはそれはできない悲しさ。

仏さまと私たち人間との違いがここに明らかにされているということでしょうね。


【親は死してなお、我が子を育てる】


自らの死を通して、遺していく我が子たちに【いのちの往く先】を明らかにしてくださっていることは実に素晴らしいと思う。

私自身、我が親を見送った中にそう感じています。ありがたや、ありがたや、ナンマンダブツ。



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