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執筆者の写真超法寺の住職

仏さまの誓いは約束

皆さま、こんばんは。

今夜ついにタイガースが18ねんぶりの優勝を決めました。ぶっちぎりでしたね。宿敵ジャイアンツを倒しての優勝は虎党にはたまらない瞬間だったでしょうね。

18年ぶりって、確か私が京都での高校生であった時に、バース、掛布、岡田、真弓を擁して歓喜の優勝をした時のことを思い返しました。

あの時もカープと優勝を争っていました。

夜な夜な河原町通を車で爆走して、まるで暴走族のようでしたなぁ。

青春を謳歌しましたよ。

あの時、一緒にどんちゃん騒ぎをした友人たちは元気にしているかなぁ。


あれから40年ほど経ちますか、思えば歳を重ねてきましたね。

そう、重ねてと言えば日頃からお勤めしています『重誓偈』は、阿弥陀さまが私たち凡夫(死ぬまで欲望から離れられないもの🟰さとりに至らない)を南無阿弥陀仏一つで救おうと誓われた浄土真宗では短いお経[偈]です。

「我建超世願[がごんちょうせがん]必至無上道[ひっしむじょうどう]」で始まります。


『重誓偈』は、【重ねて誓う偈(うた)】と意訳されます。

「重」は、[何かに重ねる]重ね重ねということです。

「誓」は、[約束]という意味です。

[誓]とは、「折」という字と、「言」という字が重なっています。

枯れ木を折ればポキンという高い音が鳴ります。ちょうど木を折ったような大きな声で、【はっきり】と[約束]しているのです。

ごまかせないのです。


多くの仏さまたちの前で「私はこのような仏になります」と誓われ、成し遂げた、それが阿弥陀如来です。


『重誓偈』の主語は阿弥陀さまです。

「常於大衆中(じょうおだいしゅうちゅう)説法獅子吼(せっぽうししく)」

仏さまは大衆に向かって【私はいつも大衆の中におります】

[獅子吼]ライオンが吠える。

※449のナンバーはお寺さんがよく付けていますよ。笑笑


百獣の王が吠えるように人々の中に説法を説いておられるということでしょう。

常に仏は法(教え)を私たちに説いていてくださいます。

つまりお経はお釈迦さまの説法がもとになっていますから、お経が聞こえるということは、今、お釈迦さまが説法していてくださると受け止めていただけたら嬉しいです。


【今現在説法(こんげんざいせっぽう)】


堕ちるしかない生き方の私を先手の仏のはたらきが、おとしはせんぞ、まかせよ救うという願いを重ねて重ねて私に届けていてくださるのです。これが他力本願の世界です。

修行のできない私のために仕上げてくださった阿弥陀さまのお心に出遇いますと、『般若心経』を何故、浄土真宗ではお勤めしないかが自ずとわかるのではないでしょうか。


それが【親心】に出遇うことなのです。

私たちは【親】を親から教えていただいたのです。有難いですね。


実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな


頭を下げるのではなく、頭が下がるのです。

勿体無いことですね。


それなのに『重誓偈』は短いから有り難くないなどと文句を言われる方がいるのが悲しいですが、そういう方には是非、お寺で仏法を聴聞することをおススメしますよ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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