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執筆者の写真超法寺の住職

仏さまの教えを聞くことは

皆さま、仏さまのみ教えを聞いていますか。

ただ聞くのではなく、それによって貴方自身を知ることができましたか。


聞いたつもりというのが一番厄介です。

いくら阿弥陀如来さまが先手を打たれて煩悩具足の凡夫たる私を救うと誓われても、願いをかけられた側がその自覚が無ければどうにもなりません。


そのような誤解をされている私たちに、お念仏を唱えたからといって死ねば阿弥陀如来さまが救ってくれるから安心、安心と間違った受け取り方をしていたら大事です。

これを浄土真宗では【異安心】(いあんじん)と言って戒めています。


人間の生き方の厄介なのは、基本的に自分を善人と思い、賢い人だと思い込んでいることなのです。

これは一回二回、お寺へ参って法話を聞いた位ではなかなか自覚されないでしょう。



自覚とは、私の生き方は【罪悪深重】(ざいあくじんじゅう)とか【地獄行き】と思えないことであります。

実はどれほど恐ろしい生き方をしているかを知らずに気づかずに生きているということなのです。

いやいや、私は浄土真宗の門徒だし、お念仏もいただいているから大丈夫だと阿弥陀如来さまの【親心】を勘違いした方は思っている以上に多いでしょう。


親鸞聖人は【報土往生多からず。化土(けど)往生少なからず】と、おっしゃっておられます。


つまり阿弥陀如来さまの【ご本願】を勘違いしたばかりに即得往生できないと言われるのです。

これでは悲しいことです。

【早く阿弥陀さまにお迎えに来てもらいたい】

これなんか典型的な異安心であります。

このような受け取り方は浄土真宗ではなく浄土宗でありますよ。


お寺で仏法聴聞するということは、なぜ阿弥陀如来さまがわざわざ私なんかのために【ご本願】をお誓いしなくてはならなかったかということを一度考えてみていただきたいのです。


我が身を知ることで、ようやく阿弥陀如来さまの【ご本願】にこめられた真実の親心を知るのではないでしょうか。


参考までに、

◉「ゆくときはぽっくりいって」と妻の云ふ

 ほとんど本音に近く聞こえる(京都 髙橋さん)


◉「じいちゃんはいつごろしぬの おとうさん」

  満4歳の東京の孫    (長崎 鉄本さん)

※じいちゃんの死が気にかかる。死なないで欲しいと思っているのか、早く死んでほしいと思っているのか


◉柿の実がなくなり鳥が来なくなり 柿の木ひとり

たそがれており       (京都 山中さん)

※与えるものがあるときは、子も孫も人も寄ってきたが•••。


◉耐えてきたと思っていたが、耐えさせてきたかも

しれぬ 今日真珠婚    (鹿児島 清水さん)


※お互い欠点ばかりの煩悩具足の凡夫であります。自分が耐えているほどには、相手も耐えているのでしょう。


どうも都会(首都圏)の人たちは、勉強すれば大丈夫だと勘違いしているように常々危惧しています。

安芸門徒は、お寺参りを日頃から習慣とし、1分1秒たりとも無駄にせずお聴聞を欠かしません。この歩みが安芸門徒という素晴らしい浄土真宗信者を育ててきたのです。

◉実るほど、こうべを垂れる 稲穂かな

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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