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仏さまの教えを聞きましょう

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

「世間の常識では悟れません」

いのちを考えよう。

 喜寿 米寿 白寿 百寿 何のその

 われは無量寿 南無阿弥陀仏


人間の命、人間は生まれて【立志15歳】、【而立30歳】、【不惑40歳】、

【知命50歳】、【耳順60歳】、【還暦60歳】、【古稀70歳】(唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんだ。)【喜寿77歳】(喜を草書体で書くと㐂となり77に見えることが由来。)【傘寿80歳】(傘の字が八と十を重ねた形になり八十と読めるところから)【米寿88歳】(米という字を分解すると八、十、八となることから)【卒寿90歳】(卆が九十に見えるところから)・・・まだまだありますね。

あっても、有限、相対の命であります。


では無限の命は、南無阿弥陀仏であります。

無量寿であります。

その無量寿への往生の白道を愛宕山入日の如くあかあかと、


 燃やし尽くさん残れる命(西田幾太郎)


 花は咲き咲き成仏す、花は散り散り成仏す。


浄土真宗は、この私を見せてくれます。

何もわからない、分かろうともせず生きようとする私を、放ってはおけないという阿弥陀さまの喚び声に、私自身が目を覚まされて、そうでありました、そうでありまぢたと素直にいただいて、この命ある間は、生老病死の四苦八苦の中であります。

どうにもこうにも生きていればさまざまな困難にぶつかりましょう。

そして長生きをすれば嬉しいとは名ばかり、多くの人と別れていかねばなりません。

親しい人が周りからいなくなっていくのですよ。覚悟しなさいね。

「縁」あれば、可愛い子どもに先立たれることもあります。連れ合いも再立つかもしれません。嬉しいどころか雨や嵐の人生となるかもしれないのです。

悲しいこと、辛いことが多く絶望にすら遭うかのしれません。


その苦しみを引き受けて乗り越えさせていただける力は「南無阿弥陀仏」です。

お念仏を我が身にいただいて生きていけば絶望して自らの手で人生を終えることなどありはしません。結局、自分の知恵だけを頼りにして生きていくと地獄=自業苦の人生となっていくのです。

地獄なんかない、という人は最後はきっと苦しんでいくことでしょう。

仏法を聞く人になりましょう。

南無阿弥陀仏を称える人になりましょう。

それが一番素晴らしい生き方であります。


ナンマンダブツ、ナンマンダブツ、ナンマンダブツ

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