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執筆者の写真超法寺の住職

仏さまに願われた私

皆さま、こんにちは。

今日も寒くなりましたね。

手が悴みますよ。しもやけにご注意を。


さて、おかげさまで今日も所沢市斎場で火葬式のご縁をいただいて新たな方たちとお会いさせていただきました。

悲しみのご縁ではありますが、私自身が悲しいご縁に会う中に、今まで気づかされなかった想いを共有できる喜びを感じています。


さてこの度は、【ご親教[ご門主のお言葉]「浄土真宗のみ教え」をいただく】をご紹介します。ご一緒にお味わいさせていただきましょう。


〈本年も、みなさまと共に立教開宗記念法要のご勝縁に遇わせていただきました。立教開宗とは親鸞聖人が『教行信証』を著して他力の念仏を体系的にお示しになり、浄土真宗のみ教えを確立されたことをいいます。

この法要をご縁として、私たちに浄土真宗のみ教えが伝わっていることをあらためて味わわせていただきましょう。

さて、仏教を説かれたお釈迦さまは、諸行無常や諸法無我という言葉でこの世界のありのままの真実を明らかにされました。

この真実を身をもって受け入れることのできない私たちは、日々「苦しみ」を感じて生きていますが、その代表的なものが「生老病死」の「四苦」であるとお釈迦さまは表されました。むさぼり•いかり•おろかさなどの煩悩を抱えた私たちは、いのち終わるその瞬間まで、苦しみから逃れることはできません。


このように真実をありのままに受け入れられない私たちのことを、親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」と言われました。

そして、阿弥陀如来は煩悩の闇に沈む私たちを救い取りたいと願われ、そのお慈悲のお心を「南無阿弥陀仏」のお念仏に込めてはたらき続けてくださっています。

ご和讃に「罪悪もとよりかたちなし 妄想顛倒(もうそうてんどう)のなせるなり」「煩悩•菩提体無二(ぼだいたいむに)」とありますように、人間の分別がはたらき出す前のありのままの真実に基づく如来のお慈悲ですから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、誰一人として見捨てられることなく、そのままの姿で摂め取ってくださいます。


親鸞聖人は「念仏成仏これ真宗」(『浄土和讃』)、「信は願より生ずれば 念仏成仏自然(じねん)なり 自然はすなはち報土なり 証大涅槃うだがはず」(『高僧和讃』)とお示しになっています。

浄土真宗とは、「われにまかせよ そのまま救う」という「南無阿弥陀仏」に込められた阿弥陀如来のご本願のお心を疑いなく受け入れる信心ただ一つで、「自然の浄土」(『高僧和讃』)でかたちを超えたこの上ないさとりを開いて仏に成るというみ教えです。


阿弥陀如来に願われたいのちと知らされ、その温かなお慈悲に触れる時、大きな安心とともに生きていく力が与えられ、人と喜びや悲しみを分かち合い、お互いに敬い

支え合う世界が開かれてきます。

如来のお慈悲に救われていく安心と喜びのうえから、仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の道を歩まれたのが親鸞聖人でした。


私たちも聖人の生き方に学び、次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を「浄土真宗のみ教え」として味わいたいと思います。

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