【他人(あなた)の苦しみを自分の苦しみとし、他人(あなた)の悲しみを自分の悲しみとし、他人(あなた)の喜びを自らの喜びとし、我が身を捨てて他人(あなた)を救う】
そういうお方を仏さまと言います。
だから仏さまは、親に、親でも母に例えられます。その仏さまがナンマンダブツとなって私に届いてくださるのです。
ナンマンダブツとは仏さまのことです。
そのナンマンダブツの仏さま【阿弥陀如来】は、耳に聞いて口に称えてお遇いします。
仏さまに遇うと、我が身の愚かな姿に気づかされます。
他人の苦しみ、悲しみを自分の苦しみ、悲しみと思えますか?(蜜の味とか言いますよね)真反対じゃないですか?
他人の幸せを自らの幸せと喜べますか?妬んだりしませんか?
我が身を捨てて他人を救いますか?
ナンマンダブツは常に私を照らしていてくださいます。
仏さまとは真反対の私は地獄(自業苦)行きですね。いつでも私が最優先、自分のことしか考えられない。それを凡夫と言われます。
「子の罪を親こそ憎め憎めども、捨てぬは親のなさけなりけり」
仏さまは、その地獄(自業苦)行きが捨てられないのです。
ナンマンダブツとなって、「そのまま我に(阿弥陀)にまかせておくれ」と私に宿ってくださるのです。
仏さま【南無阿弥陀仏】に遇うと、我が身が知らされ、仏さまのご恩が知らされます。
お恥ずかしいです、勿体ないです、有難うございますと、お念仏を申す人は【慚愧】(ざんぎ)と【感謝】の仏道を歩んでいきます。
○難聴の母を呼んでみる 母さん母さん僕の母さん [朝日新聞 町田市 冨山俊朗さま]
※小声で母に聞こえなくてもいいのです。難聴の身でありながら、自分のことは後回し、僕のために生きる母がいるだけで嬉しいのです。
○退院の妻が天婦羅揚げながら「お父さんには不自由かけて」 (読売新聞 前橋市 笹村明さま)
※入院していた老妻が•••••。自分のことよりか、主人のことを思う老妻のこの一言に、私は胸が熱くなりました。
○枕元のラジオのスイッチ切る時も、口ぐせとなる「ありがとうよ」と
[山口新聞 下関市 木本芳子さま]
※[ありがとう]が口ぐせとなる。誰にでもこの言葉を言える人は大切にされます。介護士さんからそう聞きました。長生きすれば他人の世話になるのですから、普段から[ありがとう]を口ぐせにしたいものです。
○老患の抑えた声の念仏が かすかに聞こゆ消灯時間
※声を出してはいけないが、今日の感謝を言わずにはおれない患者さまのナンマンダブツが微かに聞こえるさまです。お念仏をいただけた人だからこそであります。合掌念仏
有り難きしあわせであります。
南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・
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