仏さまって、なぁに?

【どうして阿弥陀さまに手を合わせるの?】


《いつでも一緒だよ》


阿弥陀さまという仏さまは、楽しかったり、悲しかったり、悩んだり、愚痴を言っていたり、悪口を言ってみたりしながら毎日を過ごしている私たちに、「どんなときも一緒にいるから安心してね」

「いつでもお念仏(南無阿弥陀仏)を称えてね」

「ひとりぼっちじゃないからね」

と、私たちに呼びかけていてくださいます。


ひとりぼっちだと思うから不安になったり、寂しくなったり、悲しくなってしまうのが私たちです。

でも人は皆、それぞれの思いの中に生きているのです。自分のことで精一杯だったり、自分の考え方を優先していたり、複雑に色々と考えながら生きているのです。


だから、一時的な感情で立ち振る舞ってしまうこともあるし、機嫌よく人に優しくなれたり、笑顔で接したりもします。

そんなお互いだからこそ、断片的に判断して文句を言ってみたり、喧嘩してみたり、仲間外れにしちゃったりするのです。


人間は善人だけが善いことをして、悪人だけが悪いことをする、そんなものではありません。


本当はめちゃくちゃ良い人なのに、たまたま魔がさして悪いことをしてしまったり、人を傷つけちゃったりして、それを周りから責められてしまったり、悪人のレッテルを貼られてしまったりします。


また、本当はめちゃくちゃ悪くて酷い人なのに、たまたまつい、良いことをしちゃったりして、それを周りが「あの人はとても良い人」だと思われたりします。


私たちはお互いにそれぞれが相手を「色眼鏡」で見ています。私の「偏見という色眼鏡」で。

だって自分のことなんてまったくと言ってわからないというのに。わかっているつもりでしかありません。


そんな生き方の私たちですが、阿弥陀さまはいつも私たちに寄り添ってくださり、見守っていてくださいます。お父さんのように、お母さんのように、お兄ちゃんのように、お姉さんのように、おじいちゃん、おばあちゃんのように、いつも厳しく、優しく微笑みながら、阿弥陀さまは私たちを見ていてくださいます。

そのお姿(おはたらき)を知ると、自然に感謝の思いがおこりませんか?阿弥陀さま、ありがとうございます。


浄土真宗のお念仏は、「仏さま、お願いします」というお願いする、祈願のお念仏ではありません。

いつでもどこでも、あなたを見ているよ。

だから、あなたらしく生きてくださいね、と支えていてくださるのです。

嬉しかったり、ありがたかったりしたら、皆さまはどうしますか?

きっと自然に感謝の思いが起こりますよね。


浄土真宗のお念仏(南無阿弥陀仏)は、「仏さま、ありがとうございます」の感謝の思いが声となって私の口から現れるもの、それが称名念仏(声にしてありがとうと称えるお念仏=南無阿弥陀仏)なのです。


つまり、私たちはつい、私が私が•••と、小さな命の世界に閉じこもろうとしてしまいます。

それを阿弥陀さまは、広くて大きな命の世界に目覚めてくださいね。私(阿弥陀)は、どんなことがあっても決してあなたを見捨てませんよ。必ず正しい道にあなたを導きますよ、と喚び続けていてくださいます。


その仏さま(阿弥陀)の願いを聞いたら、少しずつ、少しずつ、本当に少しずつ、私たちは正しい方向(仏の願い)に導かれていく生き方になっていくのです。


そうすれば、自分ひとりで生きているんじゃない。みんなの命がつながっていて、その中でみんな助け合って生きているんだと気づいていくのです。

人はひとりでは決して生きてはいけないのだから。


是非、南無阿弥陀仏を聞きながら生きていく、そのような生き方をしていただきたい。

そうすれば、きっと愚かな生き方をすることなく、他の人にも優しくなれると思うのです。

だって、他の人にも阿弥陀さまは寄り添っていらっしゃるのだから。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏



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