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執筆者の写真超法寺の住職

今、ここ、私

皆さま、こんばんは。

おかげさまで無事に帰院しました。

帰りは下道で帰りましたが約2時間でした。

思いの外、早く帰ってこれました。

朝から雨でしたが高崎市斎場へ着いた頃にはすっかり晴れてきました。

故人さまのお徳だったのかも知れませんね。


南無阿弥陀仏称えれば、十方無量の諸仏は、

百重千重囲繞して、よろこびまもりたもうなり


親鸞聖人はご和讃でお慶びくださいます。

還相のおはたらきでしょうか。

いつもそんなことを思います。

諸行無常に生きる私は、明日なき身です。

今、今日しか遇えない身が、たまたま「今、ここ」で遇わせていただいたのです。

そうしようと思ってそうなったのではありません。親鸞聖人は、不思議を超えた不可思議とおっしゃっています。

まさに不可思議なはたらきがあればこそこの度にお遇いさせていただきました。

超法寺の住職としてお世話させていただくMAXで仏縁を結ばせていただきました。


それは過去よりの無数のお手立ての結実であり、この度の機を逃せば過去にそうであったように未来にも曠劫(こうごう)をまた経めぐらねばならないのです。

今生•今日•今しかないのですね。


すべては「私」に集約されるのです。

故人のためと勤めたのでしょうが、実はそうするように仕向けてくださったのが親たる故人の願い、はたらきではなかったのでしょうか。

お経を聞いたのは、仏法をお聴聞したのです。

【今現在説法】(こんげんざいせっぽう)


「ここ」とは、「そこ」とは違うのです。

「ここ」とは、「私」の側にあるものを指して「ここに⚪︎⚪︎があります」と言います。

私から離れたところにあれば、「そこに⚪︎⚪︎があります」というようになり、離れた表現になります。

だから、阿弥陀さまのおはたらきは、「今、ここの私」でしかあり得ないのです。


【仏法に明日ということはない。今日の尊さ、

 今日のありがたさ】


明日がわからない私だからこそ、今、聞いておいてくれよの願いが、おはたらきがあったのでしょうね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


素晴らしい仏縁に遇わせていただき有難うございました。

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