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執筆者の写真超法寺の住職

今現在説法を聞く

皆さま、こんにちは。

朝から先日遭った人身事故の調書を取るために警察署まで行ってきました。いつもながら苦手な場所ですね。被害者でよかった。

さて今日は世界が驚き慌てた水原一平通訳のギャンブル借金を大谷翔平さんが肩代わりというショッキングなニュースが報じられました。

ギャンブルは負けたら負けを返すためにまた多額を賭け、そしてまた負けが増えていくものです。人間は勝った快楽を忘れることが出来ない麻薬のようなものに弱いものです。

一度脳が快楽を知ると、それを持続しようとする、それが中毒です。競馬もパチンコもドラッグも喫煙も皆同じです。


私も若かりし時に様々なギャンブル、喫煙、飲酒等の中毒に陥りました。なかなか脱却することは難しかったですが、今では興味すらありませんね。今はせいぜい株式投資くらいのものです。ま、これもFXや先物、信用取引のようなものだとギャンブル要素があるので素人はやらない方が良いかと思います。私はやりません。

株式投資も投機的なものはやらずに堅実な投資を継続しております。

現物取引であれば、仮に株価が下がっても売らない限りは大丈夫だし無くなることはない。

しかし$4500000なんてギャンブルで借金をすること自体庶民には有り得ないです。

野球パートナーとして長きに渡り信頼関係を築いてきた大谷翔平さんに借金を肩代わりしてもらうなんて酷い話だと思います。

お金の貸し借りは身内でも嫌がります。


しかしながら人間とはそのようなものであると言います。『歎異抄』第十三条には、「人はだれでも、しかるべき縁がはたらけば、どのような行ないもするものである」とあります。

縁あれば、どのような世界にも行ってしまう私たち人間(凡夫)は迷いの六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を超えて、【彼岸】へ行くどころか、今このとき、【此岸】で迷いの世界を巡りながら苦しみ悩む人生を生きているのです。

だから【自力】では【彼岸】へ行くことなどできないのです。でも人間は大丈夫、行けると思って生きているからでしょうか、仏法聴聞を怠るのですよね。


親鸞聖人は『教行信証 行巻』に、

「わたしたちは現に迷いの凡夫であって、罪のさわりが深く迷いの世界をさまよい続けている。その苦しみはいい尽くがたい。今、善知識に遇って阿弥陀仏の本願に誓われたお名号を聞くことができた。」と述べられています。


親鸞聖人は縁あればいかなる世界にでも行ってしまう私たちが、その苦しみ悩む中に様々な方の縁によって、阿弥陀さまの願いを聞くことができたと慶ばれています。阿弥陀さまは、【此岸】で苦しみ悩む人生を生きる私に休むことなく願いをかけ続けておられます。


また『仏説阿弥陀経』には、

「その土【極楽浄土】に仏まします、阿弥陀と号す。今現にましまして法を説きたまふ」


阿弥陀さまは、どこか遠いところで説法をされているのではありません。今ここで現に苦しみ悩み、迷っていることにすら気づいていない私たち人間に法を説いておられます。

「苦悩の人々よ、我にまかせてくれよ、必ず救う」という阿弥陀さまの願いは【南無阿弥陀仏】の喚び声となって今ここに届いているのです。


いつまでも聞こうとしない私たち人間、いつまでもまかせようとしない私たち人間を阿弥陀さまは地団駄を踏みながら残念がって、先手を打ち【南無阿弥陀仏】の声となり喚び続け、はたらき続けておられるのです。


私に仏縁をくださった父母は、このような愚かな生き方しかできない私のために還相回向(げんそうえこう)の諸仏がわざわざ父母の姿となりて現れてくださったのではないかといただいています。そうでなければ散々見ぬふり、聞かない、受け取らない私が知らず知らずのうちに両手を合わせるようになり、口には開けば愚痴ばかり、他の悪口、自身の自慢ばかりしか言えなかった私の口に南無阿弥陀仏の声となり、阿弥陀さまが宿っていてくださるようになったのです。

そのような私に育ててくださった方々に感謝申しあげる場こそがお彼岸のお彼岸たる所以ではないでしょうか。私はそのようにお味わいさせていただいています。


お彼岸の七日は、間違いない私の人生の目的地、【彼岸=お浄土】を知らされ、それを我が身をかけて教えてくださった父母、ご先祖さまに感謝するととも、南無阿弥陀仏を称えても悩み苦しみが尽きることのないわたしたちに安穏の世界をお説きくださる阿弥陀さまの説法を聞かせていただくことを大切にしたいと思います。


南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・


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