皆さま、こんばんは。ようやく落ちつきました。
今朝早く僧侶派遣業者から電話がなり今晩と明日、通夜葬儀へとの依頼。
流石に今日の今日の依頼は初めてでありました。
今日の仏教テレフォン相談は急遽、お昼までで帰らせていただきました。
ごめんなさい。二件しか対応できませんでした。
一度帰院して通夜の用意をして川口市の斎場まで行きました。
この度の業者は初めてのご縁でした。
名刺交換をさせていただくと、「今後、直接依頼してもいいでしょうか。」と言ってくださいました。もちろん喜んでご対応させていただきますとお答えしました。
超法寺は縁をいつも大切にさせていただいています。
どのようなお参りでも精一杯お勤めさせていただきます。
少しでも皆さまの悲しみに寄り添えるように努めています。
一生を二十五円で差し出して チリチリ焦げる ししゃもの尻尾
(東京都 花 美月)
朝日新聞の選者は「たった二十五円で一生を終えるししゃもの哀れさ」と評していました。果たしてそうなのでしょうか。ししゃもは二十五円という命の代価(?)を手にしたのでしょうか。
皆さま、間違ってはなりません。
ししゃもは一銭も貰ってはいませんよ。
二十五円は、漁師さんや魚屋さんの手元に入るお金で、ししゃもそのものには一円も
行っていません。魚代、お肉代、野菜代、お米代と言いますが、勘違いしてはなりませんよ。そのものの命はただ(無料)。代価はに人間が手にするのです。
「いただきます」論争もありますが、これはお金を払ったから言わなくてもいいんじゃないのです。第一に、米や野菜や魚、牛や鶏そのものの命に対しての言葉なのです。たった一個のコンビニおにぎりも、三千人の苦労によって出来上がると聞きました。そんなことすらわからないでいることは恥ずかしいと思います。
【全てのご縁に対する感謝です】
↓
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」
おかげでごちそうさまでした。と心して言えるそんな温かな生き方をしたいですね。
私はそう思います。
おやすみなさいませ。ナンマンダブツ
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