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執筆者の写真超法寺の住職

人間の知恵ではわからない

皆さま、こんばんは。

この時間になるとかなり冷えてきます。

しかしながら昼間はお天気にも恵まれましたね。ただ師走で急がのでしょうが赤信号を無視する自動車が目立ちました。この時期に事故を起こすと悲惨な年末年始となりますよ。

昨日、杉並区で起きた母子がジャガーに轢かれて亡くなるという悲惨な事故はそういうあなたへの警鐘であります。

目の前で愛する妻と娘を同時に失ったご主人には言葉もございません。世の無常とは言えあまりの出来事でした。衷心よりお悔やみ申し上げます。南無阿弥陀仏


私たち人間は、この世に生まれてきたことは、常に「死」と隣り合わせであるのです。

当たり前などない。事故も決して起こそうとして起きたものでは無いし、一瞬のことで避けることもままならないのが現実ではないだろうか。


私自身も幼少時に二度、三度事故に遭いました。 車にはねられたのが二度、海で高波にのまれたのが一度です。なかなかハードな幼少時でありました。つまり三度命が終わっていても何ら不思議ではなかったのです。

車の事故は気絶しだだけで大したケガもありませんでした。母は僕が死んだと思ったそうです。出会い頭の事故は本当に一瞬ですから。


海での事故も波打ち際にいて突然の高波にのまれたのですから、あっという間でした。

ほとんど記憶はありませんが、ただ高い波が上から落ちてきたという記憶だけあります。

よく生きていました。

死んでいても不思議ではなかったのに。

私とどこが違うのかは私にはわかりません。


長生きすればいいのか、そうではないのかは人間の知恵でどんなにはかってもわかりません。

仏の智恵でしかわからない。

どこへ行くかなんかわからない。

私たち人間は、死ぬまで煩悩から離れらない凡夫です。

常に自分と他者を分けて考え、自分に執着し、自分の都合を最優先にして、自分の偽りの幸せばかりを求めていくのです。

人間の苦悩はすべて、この自己に対する執着に根を持ちます。


執着している自分の身体も心も、自分の思い通りにはならない無常なるものです。

であれば、最後は自分の身体が、心が、自分自身を苦しめるようになります。

そうして底知れない不安と恐怖の中で、人生を終えていくのが凡夫の生涯なのです。


だからこそ、阿弥陀の願いが起こったのです。

一切のものを平等に見る智慧と、一切のものを自己のごとくみる慈悲。

その阿弥陀仏の智慧と慈悲によって完成されたのが【ナンマンダブツ】のお救いなのです。


死ぬまで煩悩から離れられない、死ぬまでこの娑婆世界を間違いのない世界と勘違いして生きている人間。死んだだけでは救われないという心理すら知らずに生きている、そんな誤った生き方をしている人間を阿弥陀仏は先手の救いをもって【浄土】に生まれさせ、自らと同じ【さとり】の命としてやりたいと、願いを立て、南無阿弥陀仏となって私の上にはたらいていてくださるのです。


お念仏=南無阿弥陀仏を我が身にいただく人が浄土への人生をあゆむのです。


どうかそのことにきづいてほしいと願わずにはおれません。明日は我が身ですね。

だから、当たり前ではないこの私の命をいかにして生きていくべきかを問わずにはおれません。


南無阿弥陀仏

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