人間に生まれるって難しい

皆さま、おはようございます。

今朝も晴れましたが午後からは崩れるようです。お洗濯は午前中にしたいですね。


さて連日、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが亡くなられた件が報道されています。


何があったのか、わからないけど成功していたのに勿体ないです。一説には志村けんロスが一因となっていたらしい。


私も志村けんロスはあります。

今いる入間市は「8時だよ全員集合」伝説の停電した中に放送されたのでした。

あれはよく覚えてますよ。

まさかあの時の入間市に今暮らしているなんてね、不思議ですね。


志村けんさんが亡くなられた日は私の誕生日なんですよ。だから一生忘れない。

そして仕事も少なく毎日悩んでいました。

しかしながら、この志村けんさんの死が私が生きる糧にしたのです。

油断していたら私も新型コロナで死ぬぞ!

持病持ちだから気をつけなくては、と注意深く生きるようにしました。

だって私の人生は、この「いるま布教所」を「超法寺」にすることだからね。


これを実現するまでは死ねませんよ。


私に生きよう!と、教えてくれたのが志村けんさんでしたし、先立たれて遺族や関係者がどれだけ悲しみ、苦しまれたかを目の当たりにしました。それを知っていたはずなのにどうして上島竜兵さんは•••を選んでしまったのだろうか。


残されたたった一人の家族、奥さんのことをどうして最優先しなかったのかな。


さて、今朝はお釈迦さまの説法をお伝えするね。


ある時、お釈迦さまはガンジス川のほとりで説法をされました。

「皆の者よ、このガンジス川のほとりにある砂の数ほど、この世には命が生まれてくる。」

すると、足元の砂を掬い、

「では、今掬ったこの砂とどっちが多いか?」

弟子は、もちろんガンジス川のほとりの砂が多いです、と答えた。

すると、お釈迦さまはこの手に掬った数ほどしか人間としての命をいただくことはできない、と人間に生まれることの難しさを表現されました。

また、手に掬った砂を反対側の手の親指の爪の上にサラサラと落とされて、数粒の砂が爪の上に残った。

「では、この手に掬った砂と、爪の上に残った砂ではどちらが多いか?」と尋ねられた。

弟子は、「もちろん、手に掬った砂が多いです」と答えました。


「そうだろう。

この手に掬った砂の数ほど人間に生まれるが、仏法に出遇える者は、爪の上の砂の数ほどしかいないのだ。」と、仏さまの教えを聞くことができることは難中の難と説かれました。


せっかく人間に生まれることができたのに、本当のしあわせになれる仏さまの教えを聞くことができないなんて宝ものを見失っていくようなもので勿体ないことだという例えなのでしょう。


ストレス社会だからこそ、仏法を聞くことを知りたいですね。

聞いてどうする?

じゃなくて聞いてみてください。

それも一回だけじゃなく、何度も何度も何度も何度も•••身につくまで聞いてください。

すると、ストレスすら喜びとなっていきます。


志村けんさんが教えてくれたこと、何で皆、無視しちゃうのかな。あれだけのスーパースターが命をかけて教えてくれたのになぁ。

コロナ禍では飲み歩いたら危険だよ!

大切な人が悲しむことを頭に入れて生活しないといけないよ!

まだまだ色々あったはず。


志村けんファミリーが頑張っている姿は志村けんさんはきっと喜んでいるはずだ。

私は最近の相葉雅紀さんを見ていてそう感じているよ。

周りに本当に気遣いが出来ているよね。

優しいよね、笑顔を大切にしているよね。だから周りも自然と優しく笑顔になるよね。

こういう生き方を私もしていきたい。


ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん、あなたを私は決して忘れないよ。有難うございました。

ヤー!

聞いてないよ!

押すな、押すな!

クルリンパ!(涙)


合掌念仏

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