脇がけの一番下の左側におられる七高僧のお一人、
源信さまは、宗祖親鸞聖人がお生まれなる231年前、平安時代の942年に奈良県の当麻というところにお生まれになられました。
7歳の時、お坊さんになってほしいと願われていたお父さまが病気で亡くなり、源信さまは仏さまを大事にされるお母さまに育てられました。
9歳の時、比叡山で得度されお坊さんになられました。そして15歳の時には村上天皇から頼まれてお経の講義をされるほど、大変優れた方でした。
この時、村上天皇は大層感心されて源信さまにたくさんのご褒美と【僧都】[そうず]という位を賜りました。
源信さまは、ふるさとのお母さまに喜んでいただこうと、ご褒美をすべて送られたのですが、お母さまは喜ばれるどころか、「あなたをお坊さんにしたのは尊いお坊さんななってすべての人を救ってもらいたいからで、この世の名声や栄誉のためではありませんよ」と、書いた手紙とともにご褒美をすべて送り返してきたとの逸話が残っています。
すると目が覚めた源信さまは、お母さまのお覚(おさとし)を心に刻まれ、一生懸命に仏さまの教えを学ばれました。その頃すでにお念仏は比叡山では盛んになっていましたが、その頃のお念仏は修行を補うものとしか考えられていませんでした。
そのような中、源信さまは「色々なお経を学ぶと、愚かな自分の姿はよくわかりますが、それだけでは救われません。この私が救われるのは、この愚かな私をそのまま救うとされるお念仏(南無阿弥陀仏)より他にはありません」と、『往生要集』という書物をお書きになり、日本でお念仏の教えが広まっていく道筋をつけてくださいました。
そして「罪の人々よ、一緒にお念仏をしましょう。私も阿弥陀さまのお心の中に生かされております。煩悩の眼(まなこ)に遮られてみることはできませんが、阿弥陀さまはいつも私たちを照らし守っていてくださいます。」と、お念仏(南無阿弥陀仏)の喜びをオススメになられ、76歳で往生されました。
◉『往生要集』では、お浄土に往生するチャンスは人間に生まれた「今」のみにあって他の世に無いと力説します。
ですから「今」を自覚して、聞き難い仏法を聞かねばならないと強調されています。
ところが私たちは人間に生まれた幸せや、仏法を聞くことのできる幸せをつい忘れて、一生を虚しく過ごそうとする自分がいるのですね。
何と愚かなことでしょうね。
昨今では通信教育で学ぶことが流行りですが、勉強することは大切ではありますが、修行の真似事で終わってはなりません。
【仏法を聞く】
私の死が近づき、やっと気づいても「天に呼ばわり地を叩くといえども、更に何の利益(りやく)かあらんや」と、その気づくことの遅さを指摘されています。
【私たちの宝】
私たちにとって「宝の山」とはお念仏(南無阿弥陀仏)のことであります。
そのお念仏を聞くことのできる環境に今現在、私たちはいるのです。
ところが、怠け心を起こしてお念仏を聞こうともせず、むしろ背を向けていませんか?
あなたは、お念仏を聞くことのできる環境の中で何も手にせず人生を終えてもよいのでしょうか。
源信さまは、【宝の山に入りて手を空しくして帰ることなかれ】と戒めてくださいます。『往生要集』より
得難い人間に生を受けた私に、輪廻転生(りんねてんしょう)を解脱することのできる【お念仏】に、いち早く気づきなさいと注意喚起してくださるお言葉として受け止めたいものです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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