皆さま、おはようございます。
あっという間に一週間が過ぎてしまいました。
もう土曜日です。亡き父が生前書いていました。
「人生のスピードは10代は鈍行、20代は快速、30代は急行、40代は特急、
50代は新幹線、60代は・・・・・」
もう私は60手前だ。十分速いのだ。まだまだ速くなるぞ。
そして人は皆、自分を中心に命を若さを語るから共有しにくいぞ。
だから語り合っても楽しくなんかないよ。
皆さまは人生何十年と生きていられますか?
今や「人生100年」と言われていますね。
でも、もともと身体の弱い私はずっと人生50年と思い生きてきました。
だからもう6年も得した人生を生きていますよ。
ああ、しあわせじゃね。ありがとうございます。
生前お母さんがいつも「お母さんは五体満足に産んだわよ」って言ってた。
それなのに私はその命を自分勝手に生きてきました。
自分の命なんだから。全然違ってた、勘違いしてた。
お母さん、ごめんなさい。
そういえば、相田みつをさんの『にんげんだもの』という本の中に、「本心を生きる」という文章がありました。
「むり」でもない「ケチ」でもないということは、言葉をかえていえば、常に自己が自己の本心を生きる、ということだ。世間体や他人の思惑などにいっさい左右されず、自分が自分の本音を生きる、ということだ。
自己が自己のいのちを本腰で生きる、ということだ。
自己が自己のいのちを本心で生きる、本音で生きるーその時、最も自己のいのちが充実する。いま、ここ、を充実したいいのちを生きるーそれが仏法。
皆さま、どう感じましたか?
本音で生きることで充実したいのちを生きる。
これが仏法って相田さんはおっしゃっていますよ。
今の私の人生は本音で生きているとは到底言えません。
常に誰かに比較され、評価される。それに怯えながら生きている。
社会的に認められたい。お寺さんとして良い評価をされたい。
ま、他の布教所さんは気にはならないのですがね。ここにしかない布教所を
常に考えているから。比較したってしょうがない。
皆さんは大都会で専従されているんだもの。
こんなことを書いてる時点で相田みつをさんの世界観とはだいぶ違うのでしょうね。
そんなことを私は感じています。
両親を見送ってもう一年が過ぎました。
夜な夜な両親を思い出して語っていることがあります。
8年前に長年勤めたお寺を退職し、13年務めた副住職を退任して家を出た私。
全部、投げ捨てて身体一つと「浄土真宗本願寺派布教使」という資格だけを持って
人生のリセット、無常世界の荒波に愚僧一人で歩んできました。
家を出た私だから極力、実家へは行かないようにしていた。
きょうだいとも疎遠になり、姪には「知らないおじさん」って言われたりした。
これが現実だ。どんなにしんどくても仕事すらくれやしない。
全部自分の本音で荒波を乗り越えてきた。
でも、やっぱり人との付き合いはちゃんとしていないとダメです。
私を応援してくださる諸先輩が、お仕事をくださりお手伝いをしていくことで
布教所を維持することができています。今では埼玉組(そ)の寺院さまが応援してくださいます。一人じゃなかもん。
人間は一人では生きていけない。常に支えられている。
私が居なくなって父は何を思っていたんだろう。
何も語ってくれなかったけど、毎月「父より」の一筆箋が嬉しかった。
毎年の私の誕生日には「誕生祝い」を送ってきてた。
この歳になっても親から祝ってもらうなんて、小っ恥ずかしいなどとずっと思っていたけど、今は有難いよ。だってもう。涙が止まらないよ。
あのいつもただ怖いだけの父でした。
本音でなんて語り合えなかった。いつも父の顔色を窺っていたよ。
お父さん!
ナンマンダブツ。
皆さまにも親はおられますよね。
私のようにもう見送った方もあるでしょう。
でも、私の年齢以上に思いを寄せてくださった親です。
「親は死してなお我が子を育てる」と言います。
今はお父さんに本音で向き合えてる。
あの嫌だったお父さんの言葉までもが、私に仏法を聞かせたいという願いだったのでしょう。尊いいのちに転換された人間の生には喜びがあります。
歓喜です(かんぎ)と読みます。
皆さまも後悔しないようにしてくださいね。
ナンマンダブツ。
お前の救いはここじゃ!
阿弥陀さまがご一緒でしたね。
ナンマンダブツ。
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