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執筆者の写真超法寺の住職

人生そのものの意味

皆さま、こんにちは。寒いですね。凍えております。

貼るホッカイロがなくてはとても辛い布教所です。

灯油が切れているのが一番辛い。油断していました。

備蓄は大事ですね。これで大地震でもきたら私は凍死します。

皆さまの油断なくお過ごしください。


さて、新年から大地震、飛行機事故と災害続きです。

世の無常を痛感させられていますが、人生を生きる意味をしっかりと

知っておきませんと安心できません。


「弥陀仏を たのみ明けて 今朝の春」 小林一茶


「たのみにする」「たのめ」「たのむ」とは、浄土真宗の信心を

あらわす言葉です。親鸞聖人は「頼む」ではなく、「憑む」の漢字を使われます。

「憑」は、「よりかかる」「ゆだねる」「たよりにする」という意味です。

 

「罪はいかほど深くとも、そのまま必ず救う」

「阿弥陀仏にまかせなさい」

と仰せくださる阿弥陀仏をたよりとして、新年を迎えましたというお意(こころ)

ではないでしょうか。


「み光に照らされて み名を称えつつ 弥陀の浄土への一里塚」


人間の一生を仏教では「一形」(いちぎょう)と言います。

私たちは親から一本の火のついたローソクを貰ったのです。

生きていくと段々残りが短くなってきます。最後まで燃え尽きることは稀で、

途中で無常の風というか嵐が吹いて、この火を消します。

この無常の風、嵐はいつ何時に吹いて火を消すかは誰にもわからない。


今年の正月にもう何本のローソクが消えたでしょうか。

まだ消えていない私のローソクも必ず消える時がやってきます。

それまでに自分の命のゆく先を知っておかねばならない。

だってそれこそ、命をいただいたお父さん、お母さんへの感謝でもあるのだから。

今はどうでも、「生まれてこなきゃよかった」ではなく、「生きてきてよかった」

と思えて命を終えて欲しいと常に思っています。


人生を生きる意味を知るには生きてみるしかありません。

生きてみてこそ知れる我が命です。

意味のない人生なんかどこにもないんだ。


ナンマンダブツ

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