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執筆者の写真超法寺の住職

人生が疑問ばかりじゃない?

皆さま、こんばんは。

いやはやお疲れモードMAX。

今日は18,000歩歩きましたよ。

ポスティングは600部。

今月だけで約2,000投函させていただきました。この一つ一つが超法寺の夢の一歩となります。


そう思いながら初老の身体に鞭を打ちながら?歩き回りました。

その合間に提携仏壇屋さまへ新年の挨拶を兼ねて来店し、明日お参りするところへお届けする仏花をいただきに行ってきました。

入間市の行きつけです。

やはり地元優先です。


さて、今日も新型コロナ新規感染者は都内で10,000人超え。あちこちでコロナ検査キットが品切れになっているようです。

超法寺でも若干数は確保しておきたいと思います。もちろん、超法寺にご縁くださる方用にです。


さて、仏教には「求道心」(ぐどうしん)という言葉があります。

「道」を「求」める「心」です。


心の内に秘めた求道心ですね。

皆さまは間違った道を歩んでいませんか?

お寺に足を運んでくださらない方は、自分の歩んでいる道が間違いないと思い込んでいるように思うのです。

それはお念仏のご縁にあわせていただいているのにも関わらず、疑問が離れません。

「何のために生まれてきたのか?」

「何のために生きるのか?」

「何で死なねばならないのか?」

「死んだらどうなるのか?」



これには残念ながら人間は答えを示すことができません。

「若い」「元気」ここに目先を向けているとなかなかこれらの事案に向き合っていくことが実に難しいのですよ。

「病気」「老」の真っ只中に身を置くようになって初めて気づくこと。

「こんなはずじゃなかった」

「私の人生って何だったのだろうか?」

という疑問が生まれてきます。


お寺は、死んでからお世話になるものだとほとんどの人はそう思っているし、お寺に行くと寄付ばかりで大切なお金を取られて嫌だとか、線香臭いのが嫌だとか聞きますよね。

でも仏教は、死者には意味のない教えなのですよ。(知っていましたか?)


お寺に通うのは、死んでからでは間に合いませんから。


私の生きる人生を虚しいもので終わらせないために、生きている今、正しい道を求めるのです。

「道」=答え


今、現にお金や健康、家族、これらに恵まれながら、それでも何か満たされていないと感じているのでしたら、あなたの先人が正しい道を求めなさい!と、ご催促くださるサインでは無いでしょうか。


このサインは皆それぞれで違います。

わたしにはわたしのサインがありました。

私はこのサインに気づくまではなかなか長い時間がかかりましたよ。

でも生きている間に気づくことができて有り難いと思っていますよ。


皆さまもどうぞ、コロナ禍の今だからこそ我が身に尋ねて見てほしいです。


南無阿弥陀仏、なんまんだぶ、ナンマンダブツ。

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