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執筆者の写真超法寺の住職

人を相手に闘ってみても

皆さま、おはようございます。

昨夜は冬の嵐、凄かったですね。

朝外に出たら枯葉が•••掃除しなくては。

さて今日から師走の12月ですね。


激動のコロナ禍で感染しないことばかり優先にしてきた一年でありました。

何せ一人で超法寺を切り盛りしていますので私が倒れたら即閉店ガラガラになってしまいますからね。

しかしながらおかげさまにて、今のところまだ踏ん張っています。

皆さまのおかげですね。


経済活動も盛んになりまた人の動きが•••。

新規感染者が減るにつれてマスク無しで会話する姿や店内に入る際にアルコール消毒をしない方が目に見えて増えてきたように感じます。

また新たな変異種オミクロン株がついに日本に入ってきてしまいましたね。

そう先ではなくまた感染爆発しそうですね。


やはりリモートは継続していただきたいと思っています。ヤダ、ヤダ、感染リスク。

またGO TOトラベルを機に全国に広がるのでしょうね。

まだ新型コロナは終息したわけではないのを忘れてはなりません。


さて、昨日は今年初めてのテレフォン相談員を務めてきました。本当に久しぶりで新鮮な気持ちで少しは相談者の辛い気持ちに寄り添えたかなぁなどと感じました。

しかしながら、皆さまは人を相手に「正論」で戦っているように思いますね。


【人は皆 裁判官 他人は有罪 私は無罪】


他人に「正論」を振りかざしても逆効果だと思うよ。「自分は正しい!」がいつも凶悪な事件を引き起こしています。


親鸞聖人という方は、「私の方には真実はないんだ。あるのは阿弥陀さまの側だけ」をしっかりと認識して生き抜かれた方でありました。


ということは、私も他者もお互いに間違うことがあるよね、と頭を下げていくことも必要だと思うし、相手を許していくこともできるんじゃないかと思う。

思い込み、偏見で他者を傷つけていく私は阿弥陀さまを仰ぎながら生きていく。

これが一番の妙法だなぁと思いました。


「俺が、私が」の「我」が争いの根源。


言葉だけじゃなく、私の生き方に「おかげさまですね。」というものがあるのかどうかが問われるのではないだろうか。


知らず知らずのうちに、私たちは自分が可愛いから他者を責めることで結局、自分を傷つけているのですね。


できて当たり前とか思わないことです。

そんなこともできない人もやはりいるのだから。

ま、その一人はこの私であります。

情け無いくらいに何もできない。

やってこなかったからね。やらせてもらわなかったのもあるし。甘えて生きてきましたね。


私は一人で生まれてきたんじゃないよ。

私をこの世に命をかけて産んでくれた人がいるよ。産んだだけじゃなく、ここまで育ててくれた方がいたんじゃないか。

いたから私が今ここにいるよ。


投げ捨てられていたら、もう私はこの世には居ないですよ。

全ての人がそうでない現実の中、それでも逃げたい?死んでしまいたいの?

う〜ん、勿体ないよ。


生きてみれば、私の疑問の答えがわかるんだから。辛くても生きてみて欲しい。


お花を見てごらん。(今はあまり見れないけど)

花は見てくれる人に褒められたいから、褒めてもらえるから綺麗に咲いているんじゃないよ。

また、誰にも見向きもされないのに、花は人や場所に左右されることなく、どんな時も精一杯咲いて、結果ワガママな私たち人の心を癒やし、和ませてくれているじゃないですか。


感情的になって他者を責めず、私が私でいい、と私をそのまま認めて、そのまま共に歩んでいてくださるのが阿弥陀さまだと思います。

腹がたてばこそ、そんな時ほど、愚痴の私のこの口に南無阿弥陀仏を称えてみて欲しいなぁ。

不思議とすこーしずつだけど、私は楽になっています。

不可思議のはたらきなのでしょうか。


私たちの人間世界(社会)は、私の思い通りにはなりません。差別や争いなど価値観の違いや他者の評価により振り回される現実があります。

だからこそ、阿弥陀さまはいつまでも執着せずに私の名を称えて真実の世界に生まれてきなさい!と喚んでいてくださるのです。


自分は正しい。

好きな人には笑顔や優しい言葉をかけられるのに、嫌いな人にはそうはなりません。

褒められたら嬉しい。けなされたり怒られたりしたら腹が立ってしまう。

社会生活の中では、世間の価値観や他人の評価に振り回されるのが「常」であります。

その相手によって、さまざまな対応をしていかなければ生きていくことが難しい。

だから、他人が悪いと自分の殻に閉じこもることは•••私が私らしくは生きていないように思います。


花はどんな時も常に精一杯咲くことによって、花の命を生き生きと表現しているのかも知れませんよね。

わたしには、花の姿がわたしの人生の有り様を示してくれているように思えてなりませんね。


やれないことが山のようにあるよ、私は。

情けなくなるくらい。

でも、きっと何とかなるよ。

私一人では大したことはできないけど、他者のお力をお貸しいただけたならばきっと素晴らしい世界があるんじゃないかと思い、今日も一日やるべきこをこなしていきます。


皆さまもお辛いでしょうが、貴方が今生きているということは、やるべきことがあるということなんだと思いながら生きてみませんか?


死ぬのはいつでもできますから。

だってどんな人だってみんないずれ死んでいくんだもの。

嫌でも縁が尽きたら今すぐでも。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

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