三悪道(地獄行き)の世界
- 超法寺の住職

- 7月19日
- 読了時間: 2分
私たちは、自分がどこにいるのか、どこへ向かって生きているのかわからず、その時、そのときお腹さえいっぱいになって楽しかったらそれで良しとします。
他人がどうなろうとも自分には関係ないよって、寝そべって何ら恥じることもない、
そのような「いのち」を畜生と言います。
畜生とは、犬や猫、動物だけに話ではありません。
せっかく人間に生まれながら、煩悩に執着して、気づいたら餓鬼・地獄・畜生(三悪道)の世界を行ったり来たりしているのです。
このようなあり方が生死輪転(しょうじりんてん)です。
どうしたら、このようなあり方を脱して一人一人がいただいた「いのち」の100%を生き切ることができるかを求め続けたのが浄土真宗の宗祖である親鸞聖人であります。【生死出ずべき道】
私たちは煩悩具足(欲)から離れる術を知らずに自分は間違ってないと、他者を責めて裁きながら生きているのです。SNSで評論家や賢人の如く投稿し、訴えられると分かったら逃げようとする卑怯者ではないでしょうか。そうでなければ削除せずに堂々としてもらいたいですね。こういう生き方を自業苦(地獄)と言うのです。
仏教では、自分の身から毒を出して、その毒を好みながら自分自身を中毒症状にしてしまっているのです。
貧(とん)・瞋(じん)・痴(ち)【三毒の煩悩】
この毒を好んで毒が身に回ったものの住む世界を三悪道と言います。
貪りの毒に冒されているのが餓鬼(がき)
怒りの毒に冒されているのが地獄(じごく)
愚かさの毒に冒されているのが畜生(ちくしょう)
親鸞聖人は、大きな「いのち」、大きな「慈悲」(摂取して捨てない)を、阿弥陀と名づけたてまつると教えてくださいました。
大きなお慈悲が今、現に私に届いているということを教えんがためのお姿が、阿弥陀さまであります。
しかし、このお姿(阿弥陀如来)を拝んでさえいればいいことがありますよ、と仏教では言いません。
このすがたを通して、大きな慈悲の世界に目覚めていくことを勧めているのです。
おぼんのいwれを




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