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執筆者の写真超法寺の住職

ペットロス症候群から立ち直るには

皆さま、こんにちは。

近年は少子高齢化の影響で、我が子よりペットへの愛情が深く感じられている方が増えているのではないでしょうか。

ペットは我が子以上に飼い主にまっすぐ向き合ってくれ、いつも寄り添っていてくれる無二の存在です。


だからこそ、飼い主はペットに対して並々ならぬ愛情が注がれますし、またペットは言葉を持たないために一生、赤ちゃんのように親(飼い主)が心配りをして察してあげねばなりません。ただ可愛いとかでは一生のお付き合いはできないのであります。


最近では子どもが可愛いからと言って親にせびって安易にペットを購入し、子どもはそのうち飽きて(またペットが大きくなり手に負えなくなるなど要因がある)、結局親は世話を押し付けられ、場合によっては育児放棄ではないですがペットを捨てたりする事例も見受けられます。大変痛ましいことで全ての飼い主がそうとは申しませんが、忘れないでください。

この世は【因果応報】だと。


捨てたらいずれ自分が誰かから捨てられるんだと。必ずしたことの報いを受けるのです。

それが因果応報であり、地獄(自業苦)の沙汰であります。


これは仏法を聴聞する人、阿弥陀さまを我が身にいただいて生きている人にしかご理解いただけないかも知れませんがそれが真理です。


浄土真宗のみ教えを仰いでみますと、諸行無常の世界(人間)では私の都合のよいことにはならないのです。ならないのにしようとするから「苦」が生じます。

心に罪悪感があるから、せめて死んだらペットには天国に行って欲しいと願うのかも知れませんが、よく考えてください。

天国は人間でもなかなか行ける世界ではありません。神様との約束(洗礼🟰契約)が守れた人しか天国に行くことはできないのです。

人間ですらなかなか行くことのできない天国に、どうして動物が虹の橋を渡り天国へ行けるというのでしょうか。

そんな都合のいい話は童話や神話のなかだけです。


阿弥陀如来という仏さまは、そのような自分勝手な生き方しかできない私たちをお見抜きくださり、どんなものでも救おうと慈悲の仏になられました。


【念仏して急ぎ仏になる】


道に遇う。

「急ぎ」とは、自分こそ「この場合、飼い主」救われねばならない身と知ること。

[亡きペットを不憫に思ってみてもいかんとし難いことを軸に]


念仏せよ!

念仏して【急ぎ】仏になれ!

それは阿弥陀如来のよび声であり、

それを聞け、と亡きペットちゃんは飼い主のあなたに願っている。



ペットロス症候群で悲しみのどん底にいる皆さま、ペットを亡くされた悲しみ苦しみは私も経験済みです(目の前で車にはねられた)。

私は半狂乱になるほどのどん底を経験しました。泣いて、泣いて、泣き続けた1ヶ月、仏法聴聞に明け暮れました。

そうしたらペットからの願いを知らされました。この世の無常はどこでもない、ここにあっのだ。可愛いペットが我が身をかけて愚かな飼い主の私に教えてくれたのです。

ひょっとしたら、あなたの可愛いペットちゃんは、あなたを南無阿弥陀仏に誘うためにペットの姿となり現れてくだされた仏さまかも知れませんよ。【善知識】


仏法を聞けよ!

お念仏を申せよ!

南無阿弥陀仏が亡きペットちゃんからの願いですよ。


倶会一処(くえいっしょ)


残念ながら、スピリチュアルの世界ではこの悲しみは乗り越えらません。

こちらからは解決ならないからです。

大慈悲のはたらき、南無阿弥陀仏の阿弥陀如来の他力本願があればこそペットも私も、あの人も皆、安らぎの浄土へ参りまた遇える世界が開かれるのです。


さあ、いつまで悲しみのヒロインを演じて自分の殻に閉じこもっているの?

あなたと生きてくれたペットちゃんは、またあなたに遇いたいと願っていますよ。

南無阿弥陀仏を称えながら生きていければ、必ずまた遇えるよ、遇わせるぞ、心配するなと、阿弥陀如来はお誓いくださり、おすすめくださっています。


お墓参りはただの先祖まつりではありません。

あなたを悲しみのどん底から立ち直らせるための仏法聴聞へ誘うきっかけの場です。

どうぞ大切にして早く悲しみから立ち直れるように願っています。


超法寺は、いつでも悲しみのご相談をお受けします。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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