皆さまには常日頃より超法寺へご葬儀並びにご法事のご依頼をいただきありがとうございます。また僧侶派遣業者さまにも、超法寺へのご依頼を賜り感謝申し上げます。
この度は日頃より皆さまからの【布施】(財施)のお問い合わせについてお話いたします。
超法寺は現在、宗教法人を認証されてはいません。ですから[青色申告]の個人事業主であります。皆さまからお預かりしています[布施]にも所得税がかかります。坊主は丸儲け!だと言われますが、残念ながら超法寺は個人事業主ですから寺院活動にかかる経費にも税金が発生しているのです。
もちろん、僧侶派遣業者さまからのご依頼にも喪主さまや施主さまからお預かりしています布施から約半数以上を【紹介手数料】としてお支払いしています。なかなかこの負担は寺院運営には大きな負担となっていますが、浄土真宗のみ教えをお伝えする布教活動のためには致し方ないことでもあります。
それゆえに直接のご葬儀、ご法事に対しては紹介手数料が発生しないためお寺としては大変に助かっています。皆さまのおかげにより、ここまで寺院運営、活動を継続してくることができました。感謝申し上げます。
先のコロナ禍はしばらく全く仕事が無くなり、支払いばかりに費やす日々でありました。
今考えてみると、よく乗り越えて来ることが出来たと思います。
これは宗教法人を持って普段から税金面で優遇されている既存のご寺院でも「仕事がない。困ったよ。」と嘆いておられたのです。
税金面で優遇されている面が個人事業主の青色申告分のみの超法寺はまさに絶体絶命でした。
阿弥陀さまのお力添えがなければもう入間市から無くなっていたことでしょう。
徳俵に足を乗せながら二年間、悪戦苦闘の日々でありました。様々な方々のお力添えとお支えがあればこそ徳俵を出ることが無かったのでした。両親にも何度泣き言をいい助けてもらおうかと思いましたが、自分の意思でお寺を出た身としてはそれは出来なかったのです。
ふと昔読んだ[一切れのパン]を思い出しましたよ。
必死に様々な業者さまへ営業、面接に足を運び何とかお仕事の依頼をいただくことが出来て最悪の状況を脱することができました。
週に何度、千葉県や神奈川県の遠方までお参りに走り回ったことでしたか。日の出を見ながら車を走らせたのが今は懐かしいですね。
今ではその依頼も無くなりましたが、何とか少しずつ皆さまからの直接の依頼をいただけるようになってきました。感謝申し上げます。
超法寺の布施は基本的には僧侶派遣業者さまの料金に寄せてあります。それでも問い合わせをいただきお答えしますと「高いよ!」と、お叱りをいただくこともあります。
様々な事情もあることはなかなか伝わらないのでしょう。
昔からお寺はご門徒との関わりを大切にしてきました。一見さん(表現がおかしいかな)とはやはり分けての考え方があります。ご門徒は、日頃からお寺を護持(ごじ)し、お寺を護ってくださる方々ですから長い長いお付き合いであります。一度だけの関係[派遣業者からの紹介]とは同じくは扱えないのです。
しかし、有り難いことに最近では、派遣業者からの紹介でご縁を結ばせていただいた方が継続して超法寺を指名してくださる方がいてくださいます。これは大変力強い勇気をいただいています。
中には遠方であるが、どうしても住職に来てもらいたいとご依頼をくださる方もあります。もちろん予定さえ合えば喜んでお参りさせていただいています。
さて、お布施は経済原理のみにして考えるのではなく長い先祖代々の宗派の教えや、お付き合いのお寺さんへの敬意も加味して金額を調整してくださることも大切ではないかと思います。
確かに僧侶派遣業者では料金[布施]は固定されていますが、実際に来られるお坊さんは様々です。
こんな話があります。
「ピカソの30秒」という小話です。
画家のパブロ•ピカソさんが街を歩いていると、ピカソさんの大ファンから絵を描いて欲しいと依頼されました。ピカソはその場でサッとスケッチを描いて渡しましたら、大ファンの方は飛び上がって喜ばれました。するとピカソさんは代金として100万ドルを請求しました。
「たった30秒で?それはあまりに高いよ」と驚く大ファンの方に対して、ピカソさんは「30秒ではありませんよ。30年と30秒ですよ。」と答えたのです。 それは30年間に渡る画家としての研鑽が30秒に描いた絵に詰まっているという【時間的価値】を考えさせられる逸話です。
しかし、よく調べてみるとこの小話の出処がわからず、あれこれ調べると、ポイッスラーの「ノクターン」(1877)になる。彼は絵に200ギニー(約1.000万円)の値段をつけた。ところが批評家のジョン•ラスキンは「この絵に200ギニーを要求するとは、実にあきれた話だ」と盛大にこき下ろした。ホイッスラーは名誉毀損で訴え、裁判となった。
法廷の反対尋問にて、「たった二日間だけの仕事」に対して、どうしてあんな途方もない額を要求しているのか、と追求した。
ホイッスラーはこう答えた。
「とんでもない。生涯をかけた研究成果に対して200ギニーを要求しているのです。」
このエピソードの出処は、E.H.ゴンブリッチ『美術の物語』[PHAIDON出版]にある。
いかがでしょうか。僧侶派遣業者で皆さまとご縁を結ぶお坊さんは資格だけでやってくる方から、何十年も寺院で住職、副住職として活動し、布教の実践も長けたお坊さんが同じ料金で来るのです。全員がそうとは言いませんが、皆さまのために日頃から真摯に仏教を学び、読経も法話の実践も長けたお坊さんと、資格だけのお坊さんを同じ扱いにしていいのでしょうか。
たまたま来てくれたお坊さんを「お経が下手だとか、法話が嫌いだとか」で形式的に判断して悪い評価を下してしまうことはいかがなのでしょうか。それは自分の感覚でイメージで「良くない」と感じても、初めてお会いするお坊さんも結構苦労しているのは事実です。故人のことも、ご家族のことも初対面なんですから。
ご門徒ならぱ、日頃からお付き合いをしていて、色々なことをお互いに知った上になりますので、お寺さんから「お気持ちで」と言われても、ちょっとは頑張ってお包みするくらいではないかと考えます。
お話に聞きますと多くのご住職が指摘されますのは、【高すぎると思ったらお布施ではなく、逆に安く済んだと思うのもお布施ではない。もちろん後で後悔するのもお布施ではない】と言われます。
「お布施は故人の供養のため(浄土真宗なら、故人の代わりにするお寺様へのお礼)に功徳を積む『施し』ですので、自分にとって一生懸命な施しであることが大切」と言われます。
「施し」=「程を越す」
つまりは身の程を越すことですから、少し頑張るくらいがお布施と言えるのでしょうか。
これは故人が我が親なら、自分を一生懸命育ててくれたことへの感謝を布施という形で表すことも必要ではないでしょうか。
その辺も日頃から気軽に相談ができる、心安いお寺さんとお付き合いをしていくことも大切ではないでしょうか。浄土真宗の場合、ご門徒とは近い関係性もあり家族の事情なども考慮してくださいますので、安易な派遣業者に丸投げしないでインターネットでホームページを閲覧してご相談されますことをおすすめします。
『これからの供養のかたち』[井出悦郎著]には、お布施はコミュニケが大切と言われています。
○固定的な金額を明示するお寺
○檀家側がコミュニティとしてお布施の額を決めているお寺
○尋ねられれば平均的な目安を示しつつも、お気持ちに任せているお寺
○目安そのものがなく、完全にお気持ちに任せているお寺
※超法寺では平均的な目安をお話しています。またホームページにも平均的なお布施について載せていますのでご検討ください。
【お布施のポイント】
○お布施は料金ではないため、バラツキがあっていい。平均値より家計を基準に考える。(もちろんお寺さんへの感謝を表す指標としてもいい)
○お布施は施しですから、故人との関係性をふまえ、少し頑張るくらいがお布施としては適当。その際は長期的にできるように家計に余計な負担に無理がない範囲で考える。
○お布施に困ったら、お寺さんとコミュニケーションを取りお互いが気に触らない範囲を相談したい。
※なかなか僧侶派遣業者の紹介では自分たちに合うお坊さんと出逢えるのは「運」でしかないように思われます。業者任せにせずに、自分で探す位の余裕があってもいい。インターネットでお寺のホームページを閲覧し、可能ならば実際にお寺へ足を運んで住職さんとお話をしてみるのが一番失敗しないコツだと思う。
住職の表情や語り、口調を見て判断することが大切では無いでしょうか。お寺さんとは縁があれば長いお付き合いになります。
もちろんお坊さんも人間ですから感情は豊かであります。合う合わないは早めに分かった方がいいのではないでしょうか。
なかなか電話ではお互いに分かり合えることまでは難しいのではないかと思います。お互いに表情や心持ちまではわからないので、ちょっとした行き違いが険悪になることもあり得ますから、やはり時間の許す限りお寺へ参って実際に住職に会うことが一番だと思う。
ちなみに超法寺の住職は、ホームページのままですよ。(本当ですから)
今回は井出悦郎さんの書を参考に皆さまが普段から気になっている【お布施】についてご紹介しました。超法寺はこれから本当の意味でのお寺を目指して活動しています。
皆さまとご一緒に入間市から南無阿弥陀仏の道場として皆さまの憩いの場を目指します。
南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・
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