皆さま、おはようございます。
久しぶりにひんやりした朝になりました。
今日はウチの娘、櫻の七度目の誕生日です。
彼女の人生は超法寺の歴史と同じ歩みです。
もう七年か、早いようなさまざまなことがありました。
櫻は東町では超人気者です。
彼女目当てに来られる方も多く、散歩していれば、「櫻ちゃ〜ん」と声をかけていただきます。きっと私より人気者ですよ。
愛くるしい姿は見るものをトリコにします。
ただ、年々性格的にキツくなって荒々しさが出てきましたので困っています。
しかしながら、元気に過ごしているので大変有り難く思います。
思えば生後半年で車にはねられ一週間入院を余儀なくされ、その際に一緒にいた神楽お姉ちゃんが連れ去られるという悲劇に見舞われました。(どこへ行ったかわからないけど元気でいて欲しいと願うばかり)
私的には、お姉ちゃんが櫻の身代わりになってくれたと思いたい。(全部私のせい)
また何度も脱出してご近所の方にご迷惑をおかけしましたが、優しく見守ってくださいました。一度は連れ去られそうになりました。
今では大人になったのかしなくなり安堵しています。
色々なことがありながらも、超法寺と共の歩みがこうして続いている不思議な彼女です。
招き猫ならね、招き犬ですかな。
愛想がよくて宅急便のお兄さんや出前館の配達員、郵便局員にも癒しを与えています。
確かに超法寺はお寺ですから、苦手な方もいらっしゃるのは事実です。
ご法事の際は別室で静かにしてくれているので助かります。
新たな拠点では住み分けをするため、かなり今よりは良くなるはず。
ただ踏切が近くなるので気をつけてあげねばならないでしょうね。(私の責任)
確かに私は皆さまとは違い、人様の子どもには恵まれませんでしたが、おかげさまでまめ柴犬という娘と暮らす中でさまざまなことを学ばせていただいております。
私の好きな親鸞聖人のご和讃に、【釈迦弥陀は慈悲の父母 種々に善巧方便し 我らが無上の信心を 発起せしめたまひけり】とあります。
【善巧方便】とは、巧みなお手回しであり、お育てであります。
阿弥陀さまは、私たちそれぞれに最もふさわしいおはたらきを【光】で表してそれを【調熟の光明】[ちょうじゅくのこうみょう]と言います。これは、お救いに遇われた者だけの上にだけ照らされているのではなく、まだお救いに遇っていない者、疑って救いをはねつけて逃げ回っている者、仏法を聞こうとしない者の上にはたらきかけて先手のはたらきで育てあげ聞かせてお慈悲のはたらきで救い摂っていくのが阿弥陀さまのおはたらきであります。
これには本当にさまざまなことが手掛かりとなって私を育てて、私が頷けるようになった時に初めて「あぁ、有難いことだったんだなぁ」と言うようになるのでしょうか。
昔から「子を持ち知る親の恩」と言いますが、確かに私は人間の子には恵まれませんでしたが柴犬の親とならせていただいたことで、たくさんのことを学び、育てられました。
私にちょうど良いものに遇わせていただきました。これを[お育て]というのでしょう。
命のありようをたくさん学ばせていただきました。自身を含めて生きるということは必ず別れていかねばならないんだという無常世界の理を実感させられます。その上で阿弥陀さまがお救いくださるものは決して私たち人間だけではなく、あらゆる命の上にはたらかれていることを知らされます。それを【衆生】[しゅじょう]と申されます。先ずは私たち人間を先に受け取らせて、その上でと言われるのでしょう。
私自身は、なかなか素直に阿弥陀さまのお心をいただくことができなかったように思います。
先代の柴ちゃんが目の前で死んで見せてくれたことで、ようやく【無常】を目の当たりにして、仏法聴聞に真摯に向き合うことができました。だから人間ではありませんが、私には柴犬ちゃんが【善知識】[ぜんぢしき]です。
かの妙好人【源左】さんが「でん[牛]にふいとわからせていただいた」と喜ばれ、[南無牛如来]と言われた話は有名ですが。
私には[南無柴犬如来]なのでしょうね。
でも不謹慎だとお叱りを受けてしまいそうですが、私には私にちょうど良い【仏縁】がそうであったと私はいただいています。
皆さまもご存知のように犬は私たち人間より3から4年も早く歳を重ねていますから、彼らを見送らねばならないことも常に視野に入れてのお付き合いをしていかねばならないでしょう。
別れてはいくけどサヨナラしていくのではありません。
私たちをあらゆる手立てで救おうとされる阿弥陀さまのお慈悲のはたらきは、あらゆる命の上にはたらかれています。あらゆる命を「必ず救う、まかせよ」と喚びかけられていることを忘れずに【南無阿弥陀仏】とお念仏を申しながらの人生を歩み、阿弥陀さまにおまかせした日暮しを過ごしていきたいものですね。
今日は責任役員さんが、新しい拠点の自治会長さんに挨拶にご一緒くださるのです。
自主的に動いてくださいます。住職は喜んでいます。またご近所へのご挨拶もご一緒してくださるとのこと。超法寺は確実に皆さまのものとなってきました。
それでは皆さま、今日も南無阿弥陀仏を称えながら強く明るく生きぬきましょうか。
南無阿弥陀仏
櫻ちゃん、お誕生日おめでとう。
南無阿弥陀仏
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