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執筆者の写真超法寺の住職

テレフォン相談

皆さま、こんにちは。眩しいくらいの西陽が。

目がチカチカしますよ。やっと航空公園まで帰ってきました。まだ我が家までは道のりは遠いね。今日はさいたま市でお参り、午後からは仏教情報センターのテレフォン相談員を務めてきました。今回は五件の相談にアドバイスをいたしました。有難いことに私が対処できる案件でした。世代が近いと似たような経験をしてきていることもあり、共感をしていただけました。なにぶんにも専門家ではありませんので身近な題材でしか安心した話がてきません。


皆さまは、たとえば「生きていても辛くて⚪︎にたい」という相談をうけましたらどのように答えられますか?

もちろん一般的なら「ダメですよ、生きましょう」と言われませんか?

今日は浄土真宗本願寺派の担当ですから、浄土真宗的なモノの見方なら、どう言われますか?

なかなか難しいんじゃないでしょうか。

人の人生に関わる問題でもありますので、私でもなかなかシビアであります。

無責任なことは言えませんからね。

いつも手元には『教行信証』と『歎異抄』を持って、なるべく親鸞聖人のお言葉を仰ぎながらお伝えしています。


常々、諸先輩から「身近なところに答えはあるぞ。」とお聞かせいただきます。

57年生きてくれば57年で経験したことが生きるはず。またご法義に遇わせていただいた中にもおのずと答えがあります。

ですから終わりますとかなりの疲労度があるのです。それでも少しでも、皆さまが「生きてみよう」という思いになってくれたら本当に嬉しいです。


人間に生まれないと仏さまにはお遇いできませんから、せっかく人間に生まれたのに仏さま、仏法に遇えなかったら勿体無いと私はそう思っています。

なかなか遇うことが難しい方々に今、逢えるということは宝ものではないかと思うのです。

さいたま市岩槻区でのご縁も至らない私に皆さまが優しく接してくださいました。甘えるわけではありませんか感謝いたします。


道に迷うことなら人に尋ねればわかる。

でも人生に迷ったらどうでしょうか。

なかなか答えを持っている人に出遇うのは難しいかも知れません。人は皆、老い、病、死からは決して逃れられません。

どんなに⚪︎にたいと思っても、⚪︎ねないのが私たちです。また、どんなに生きたいと願っても生きられないことも私たちには世の常であります。だからこそ、どんな人生であろうとも、そのまま抱き止めてお救いくださる南無阿弥陀仏の他力本願と出遇っておかねば虚しい人生となるのです。


聞いておいてくれの仏の願いが今私たちに南無阿弥陀仏の声となって届いてくださるのです。

阿弥陀は救う。私は助かる。

これが真実なる仏の世界であります。

これさえ済めば何があっても心配ありません。

まだ遇えていない方は超法寺へお越しください。私の勝手な願いでは残念ながら私が救われていく道はございませんよ。

そこの目覚めを仏さまは願い続けておられます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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