皆さま、こんばんは。
今日ついに都内の新型コロナウィルス新規感染者が10,000人を超えましたね。
毎日1,000人単位で増えています。
このままではまた緊急事態宣言が発出されてしまいます。
今日は午後から千葉市までお参りへ行きましたが幕張あたりは大渋滞でした。
まだまだ皆さまの外出意欲は衰えてはいないようですから今後も新規感染者は増えていくのでしょうね。心配です。
濃厚接種者となるだけでも長い間隔離生活を余儀なくされます。そうなると寺院活動ができなくなりますので大変なことであります。
何としても感染しないように濃厚接種しないようにしなければなりませんが、どこまで頑張ればいいのでしょうか。
さて、今日はこの道38年やってきて初めてのやらかしがありました。情けなくて申し訳なくて、それでも恫喝されずに堪えてくだされたこと、大きな学びにします。ご催促です。
さて、私たちは生きていく中に「別れの悲しみ」を逃れることができません。
そのような中でいかにして、この大切な方との別れを受け止めていくべきなのでしょうか。
お釈迦さまが、別れの悲しみに寄り添われたお話として最も有名な、我が子を亡くされたキサーゴータミーの救いだと思う。
これは夫を失い、幼い我が子を命としてしていたキサーゴータミーが家に帰ると、子供はぐったり倒れ、息をしていません。
ゴータミーは子供を抱えて、助けを求めますが、誰の目から見てもその子が死んでいることがわかります。ゴータミーの身を案じた町医者のギバは、隣村に布教へ来ていたお釈迦さまのもとへ行くように勧めます。
藁にもすがる気持ちでやってきたゴータミーにお釈迦さまは、「今まで誰も死人を出したことのない家から、ケシの実をもらってきなさい。そうすれば、お前の子供は助かるだろう。」と告げました。
ゴータミーは、家という家を回ってケシの実を求めますが、「昨年、父が亡くなった」
「今年、母を亡くした」「息子が亡くなった」
「娘が急に亡くなった」••••と、死人を出したことなのない家はどこにもありませんでした。
「昨日、幼い我が子が亡くなりました」と、目を赤くはらしながら出てくる自分と同じくらいの歳の母親もありました。
一軒残らず村を回ったゴータミーは、
「ああ、死人を出したことのない家など一軒もなかった。人は皆死んでいくのだ。そして、我が子も死んでしまったのだ」と、ついに我が子が死んでしまったことに気づいたのです。
そのとき、ずっと抱えていた悲しみが溢れ出し、ゴータミーの両眼からさ滝のように涙が溢れ出しました。悲しみにむせび泣くゴータミーに、お釈迦さまは、
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