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執筆者の写真超法寺の住職

ガンジーの命日ゆえ

皆さま、こんばんは。

今日一日いかがお過ごしでしょうか。

私は先日、得度して初めてのやらかしを経験して、どうしようもない自身への憤りを感じた中、優しくもリベンジの機会をくだされた仏縁を結ばせていただきました。

内心ヒヤヒヤハラハラしながらも、お恥ずかしい自らを戒めつつ、精一杯のお取り次ぎをさせていただきました。

私の誠意は届いたかはわかりませんが、これが今の私の精一杯でした。


しかしながら、このようなリベンジの機会をくだされたことには深く深く感謝しております。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


さて、仏法者は自分で作ったものでも、他からもらったものでも、まず仏前(仏壇の仏さま)にお供えしてからいただく形をとるのです。

ちなみに私は学校の通信簿ですら必ず仏前にお供えさせられました。(恥ずかしいのだよ)


蓮如上人は、廊下に落ちていた紙を「仏物よ」と、おしいだかれたと伝えられます。

また親鸞聖人は「私が死んだら、加茂川に入れて魚に与えよ」と言われたという。

九十年間、魚を食べてきたという心の痛み、感謝から出た言葉でしょう。

私たち僧侶、お寺に住む者は、毎月16日の親鸞聖人のご命日に「精進」(肉や魚など食べない)をしています。我が家はずっとそうしていましたよ。今は?ですが。


またご先祖の命日も、「今日はお爺ちゃんの命日だから」と、精進でした。

子供の頃は正直嫌でしたよ。だって育ち盛りなんだもの。


「インド仏跡巡拝記」に、1月30日、食堂でビールを頼んだら、「ガンジーの命日だから売らない」と断られて粛然とした。と書いてありました。


「命日」は、動物は食べない、酒は飲まないという、「つつしみ」の心が、私は人生には大切だと思います。


昨今では、自分の都合だけを最優先にして他の命を軽んじてはいないだろうか。

あまりに幼い子供の命が交通戦争に巻き込まれて失われていやしないか。

それぞれ自分の都合ばかりで•••もっと慎重に歩道を渡っているのは可愛い我が子かも知れない、そんな優しい心、運転をして守ってはいただけませんか?

未来の日本を担う命があまりにも軽んじられてはいないだろうか。


また弱い動物の命を思いやる心が、弱いものいじめをしてはいけないという心が育つと考えます。

子供は親の、大人の大切にするものを大切にするようになるのです。

親が差別や乱暴な言動をすれば、やはり子供も差別や乱暴な言動をするようになる。

ということは、親が仏さまを敬い拝んで、お念仏申せば、やはり子供も仏さまを敬い拝んで、南無阿弥陀仏と素直に声に出してお称えするようになるのではないかと思います。


平和な心は、日頃からの「いただきます」と、合掌していのちをいただくこと、そして精進を習慣にしていくことから養われていくのだと思います。

私の今のしあわせは、私の努力だけでは成り立ちませんよ。

多くのいのちの犠牲があればこそであります。


今一度、ゆっくりご家族で考えてみませんか?

人間は、66日間継続して行えば習慣になるのだそうですよ。ためしてガッテン笑笑


南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、なんまんだぶつ。

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