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執筆者の写真超法寺の住職

わたしを私にしてくれる

皆さま、おはようございます。

2023(令和5年)最終日ですね。

ナンマンダブツ、いただいていますか。

あなたがあなたで良かったと思いますか。

南無阿弥陀仏があればこそ、私が私で良かったと思えるのです。

どんなに辛くても、どんなに苦しくても、どんなに寂しくても大丈夫なのです。

また遇える世界がちゃんとあるのですから。


本当の私

一番わかっているつもりで、一番わかっていないのが「私」。わかっているつもりの私の知恵で、私の見たことを全てだと思い、私が一番でなければ気が済まず、そういう私に常にしがみついて自分の殻に閉じこもろうとしている。

そういう自分を本気で真剣に自分では考えない。

「老い」も「病」も避けられないのに、避けようと常に努めている。「死」はまだ先だと自惚れているから、突然何かによって死んだら大騒ぎをする。

「まだ若いのにねえ」とか、「元気だったのに」とか。

諸行無常の世界は待ったナシだと言うのに。


仏法聴聞を重ねて生きていると覚悟がドン!とある生き方になっていく。

だって往く場所を知らされます。


明日ありと、思う心のあだ桜 夜半に

嵐の吹かぬものかは


無常の世界に一生懸命しがみつこうとするわたしを阿弥陀さまは、ずっとずっと、ずーっと願い続けておられます。


南無阿弥陀仏との出会いは、

私との出会い

お念仏が私を私にしてくださる

(眞城 義麿師)


裸のまんまの私、飾らない私、わからない私、

知ろうともしない私、その私をそのまま願いを

かけ続け、はたらき続ける親さま。

様々なおはたらきで包み込んでいてくださいます。私がいつか素直になってくれるように。

ただ、そのまま見ていてくれる。

まるで、我が親のように。

親心がわかれば私がわかる。


本当の私がわかります。

まだ親がいるあなた、たまには親を見てください。見送る前に。まだ間に合います。

素直になりましょう。


南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ。

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