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執筆者の写真超法寺の住職

やりすぎましたか

皆さま、こんばんは。

雪の影響はいかがですか。

入間市はおおむね大丈夫だったようですね。

また日曜月曜辺りも降るようなのでノーマルタイヤで運転なさらずに不要不急の外出には気をつけていただきたいですね。


さて今日は法務もなかったので、今週4度目のポスティングへ行きました。

今回は新久(入間台団地)、中神、根岸辺りで450部投函しました。(約16.000歩)

さすがに膝、足首、爪先がパンクしちゃいました。

階段がある家があまりに多くて疲労度はMAXでした。しかしながら新久の団地は空き家が多い気がしました。


この団地には真宗大谷派の寺院が一ヶ寺あります。そのため今まではポスティングするのを控えていましたが、超法寺は西だからいいですよね。


最近、お問合せいただいた中で「家は先祖代々、お東だと母が言っていたのですが。お東って何でしょうか。」というものがありました。残念だなぁとは思いましたが、やはり幼い頃からずっと大谷派のご縁ならば、やはり耳に聞き慣れたお経がいいですよね。


超法寺では、ご法事(法要)では『正信偈』を大切にしています。

ではなぜ浄土真宗では『正信偈』を大切にしているかご紹介します。


『正信偈』(『正信念仏偈』)は、お釈迦さまが説かれ、インド•中国•日本の七人の高僧によって受け継がれた【南無阿弥陀仏】のお念仏の救いに、いま私たちが出あえた喜びを表明していることになるからです。


『正信偈』は、親鸞聖人が浄土真宗の教えを明らかにされた『教行信証』で述べられた偈(うた)のことで、阿弥陀如来に救われる喜びが示されています。


『正信偈』は、「帰命無量寿如来 南無不可思議光」から始まります。

意味は、《限りない命の如来に帰依し、思いはかることのできない光によってすべての命を救う如来に帰依します》という意味です。


⭕️阿弥陀如来への信仰「おまかせ」することって

南無阿弥陀仏を表しています。


「南無」とは、サンスクリット語の「ナマス」が転じて「なも」と発音したもの。

【信心】という意味です。

中国では「帰命」と訳されました。

つまり帰命も南無も同じ意味です。


「阿弥陀仏」の「阿弥陀」とは、「アミターバ」と「アミターユス」という二つの言葉を一つに音訳したものといわれています。

アミターバは「思いはかることのできない光をもつもの」(不可思議光•無量光)、アミターユスは「限りない命をもつもの」(無量寿)ということです。


⭕️『正信偈』の初めの二句は、【南無阿弥陀仏】を表しています。


だから、浄土真宗では『正信偈』をとても大切にしているのです。


喚んでも喚んでも•••口に南無阿弥陀仏を称えられないわたしに、阿弥陀如来さまは、これでもかこれでもかと喚び続けていてくださいます。

「まかせよ、救う」と。


ひょっとしたらでも、頑張ったならばの救いでもありません。

まだお念仏が申されない方は、『正信偈』の意味をしっかり理解しながら味わってみてくださいね。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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