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やらかしてきました私

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんにちは。

良いお天気になりました。

ありがたいですね。お聴聞日和です。昔から暑さ寒さも彼岸までと言われてきましたが、近年では温暖化の影響か残暑が長く、秋が短くなったようです。


さて今日明日は地元入間市最大のお参り、万燈祭りが四年ぶりにフルで開催されます。

今年も超法寺は協賛しましたので神輿に超法寺の名が刻まれた提灯が飾られることでしょう。

入間市ファーストが超法寺です。

明日は一日中、お手伝いに出ますので、今夜はゆっくり観に行こうかと思っています。

私を見かけたらお声をかけてくださいね。


[人世間に生まれてより、口中に大斧あり]


[口は災いの元]と言います。

うっかり吐いた言葉が、まさに災難となることが多々ありますね。一度言葉にして相手に投げかけてしまいますといくら後悔したり弁解しても後の祭りです。

また最近では、もっと相手を傷つけるアイテムが身近にありますよね。そうSNSです。

その中でも普段から気軽に使うLINEは仲違いする一番の危険なメールツールであります。


言葉よりダイレクトで言葉より文字に温度がないため相手へのダメージがとても大きいものです。昔から「殴った人は忘れても、殴られた人は決して忘れない」ものです。

だから幼少期に親や大人からどなられたり、叩かれたり、いじめされたりすると一生忘れないからトラウマとなります。


さてこの諺は、『成語大辞苑』(せいごだいじえん)は中国の馮道(ひょうどう)の「舌詩」(ぜつし)の、

[口は是れ禍の門(わざわいのもん) 舌は是れ身を斬るの刀]を挙げています。


不用意な言葉が相手を傷つけたり、怒らせたりして、事件に発展することも少なくありません。また、ひょっとした言葉の行き違いから、人間関係にヒビが入ることもあります。

人間は【凡夫】ですから、一度失った関係は余程の努力がなければ取り戻すことは難しいのです。子どもの無邪気な言葉でさえ傷つくのに、大人からの言葉の暴力は激しくなってしまいます。普段いかに素晴らしい姿を見せていようが一度、本当の姿を見せてしまったら私は二度と信頼などしません。


さて仏教には【十悪】(じゅうあく)という戒めがあります。

そのうち四項目が言葉に関する戒めです。

○妄語(もうご)「ウソをつくこと」

○綺語(きご) 「うわべを美しく巧みに  

         飾った言葉」

○両舌(りょうぜつ)「二枚舌」

○悪口(あっく)「汚いののしり」


という具合です。頭が痛くなります。

恥ずかしいなぁ。


また『正法念処経』(しょうぼうねんしょきょう)は、[人世間に生まれてより、口中に大斧あり。以てもし自他を斫れば(きれば)、口中に悪語出ず(いず)]と説きます。


それは、「人間は生まれながらにして、口の中に大きな斧を持っている。その斧で他人を切るならば、それは悪口となる」という意味です。

つまり、人は知らず知らずの間に、生まれながらにして口の中に持っている大きな斧で他人を傷つけている、というのですよ。


本当に私たち人間って恐ろしいですね。

熊がではないよ、私たち人間が彼らの生活の場を奪ってきたからそのしっぺ返しを受けているだけですから。因果応報であります。

だから熊が人の命を奪わなくてもいい環境整備を私たち人間がしてあげたいものですね。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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