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執筆者の写真超法寺の住職

時の過ぎゆくままに

皆さま、夜分に失礼します。

雨はいかがでしたか。

水害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

まだまだ梅雨が明けないから用心したいものですね。今日は横浜市でご葬儀へ参りました。

お手伝いではありますが、新たな悲しみの場にご同席させていただきました。


遺影のお姿はまさに「イエ〜い」ってピースサインが素敵な笑顔でありました。

最近ではあまり見かけないですが、私は好きですね。生前のお人柄がよくわかるから。

初めてお会いするのですから、少しでも人柄がわかると葬儀への取り組み方が変わるんです。


私は葬儀へ行く時には、故人さまにお呼ばれしたといつも受け止めています。

確かに一日葬では本当に短い時間しかご一緒できません。その短い時間をいかにその悲しみに寄り添えるのかを常に考えています。


そして、「あ〜、私もそう先ではない時にこうなるんだなぁ」って予行練習気分に浸るのです。

そして最愛の亡き母の一周忌を今月迎えるのです。早いですね、過ぎゆく時間はあっという間に訪れますよね。「お母さ〜ん」って幾多声にしただろうか。

でも我が母は、愚かな私に南無阿弥陀仏を受けとらせてくださいました。

まさに還相の仏さまでありました。


この世には南無阿弥陀仏を申し、日頃からお寺参りを重ねてお聴聞を大切にしておられる方があります。多分関東では多数派ではないでしょうが。

ではなぜナンマンダブツを称えて生きていくのでしょうか。


それは阿弥陀さまがいつもご一緒に歩んでいてくださっていることをすぐ忘れてしまう私がいるからではないでしょうか。

お念仏を称えたつもりにはなっていませんか?


親鸞聖人がお教えくだされたお念仏の道は、真実がわからない私のために「心配ないからね、阿弥陀にまかせよ」と、はたらいていてくださるのです。


南無阿弥陀仏を称える私になったら、往相(往生)の人生を歩ませていただく私の上に、たくさんの還相[げんそう]の方々のお育てがあったということなのです。


ご和讃に親鸞聖人は、

「南無阿弥陀仏となふれば、十方衆生の諸仏は、百重千重囲繞[いにょう]して、よろこびまもりたまふなり」とおっしゃっています。


皆さまのご先祖、父母も、この阿弥陀さまのお法[みのり]を説き勧めていてくださいますよ。私の思い出の中に姿を現し、私をお育てくださいます。

南無阿弥陀仏を称える身になりますと、先立たれたあの方、この方も還相のお方であったと拝まれます。


そう思えない方はまだ阿弥陀さまをお疑いですね。

心して生きていかねばなりません。

せっかく今まで南無阿弥陀仏に遇えなかったのが、縁あって浄土真宗のお寺にお参りできたというのにもかかわらず、結局自分の殻に閉じこもって阿弥陀さまにお遇いすることを拒んでしまう方は意外にも多かったりします。


きっと阿弥陀さまは地団駄を踏んで悔しがっておられることでしょうね。


死ぬまで煩悩から離れられない凡夫たる私たちは、どれほど頑張ってみても往生の功徳など何一つすることができないというのに、自分でもよくわかっていないチラシをお寺の住職(私)に渡すのだから恐れ入りましたね。


長いこと生きてきましたが、南無阿弥陀仏と真逆の信者からチラシを渡されて読んでくださいと言われるとは思いもしませんでした。なかなかワイルドなご縁でありました。

煩悩具足の愚僧たる私は阿弥陀さまの大慈悲心なくば往生することなどありえません。


それをこの度改めて知らされました。

もう少しお出会い重ねて人間としてのつながりを持ってみたかったなぁと思った住職でした。


「木を見て森を見ず」


浄土真宗のお寺に来て、阿弥陀さまに遇わずだったら勿体無いですよ。

阿弥陀さまは、愚かな生き方の私をそのまま摂め取ってくださいます。

私の未熟さも大いに感じたお出会いでありました。まだまだピンは続くのですね。ぐっすん。


めげずに頑張っていきます。

阿弥陀さまがご一緒くださいますからね。

きっと私に丁度いいご縁が待っているはずだから。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


腰が痛くて辛いけど頑張るよ。

おやすみなさいませ。ナンマンダブツ


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