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執筆者の写真超法寺の住職

みんなのしあわせ

皆さま、おはようございます。

今朝は良い天気に恵まれましたが夜にはまた本降りになるそうです。お洗濯はお早めにどうぞ。私は今、洗濯機を回しながらブログを書いています。今日はまた荷物を運びますよ。

身体の痛みは相変わらずですが何せお一人暮らしですから、私が動かないと何も動きません。

だからMTGが済んだら動きます。


さて今日はお釈迦さまがお生まれになられた「花祭り」当日です。

お釈迦さまが八十年の人生をかけて明らかにしてくださった、みんなの幸せを願って生きる道であります。これを仏教の言葉で【衆生利益】(しゅじょうりやく)と言います。

「衆生」とは、「有情」ともいい、「いのち」を持つすべてのもののことです。

「利益」とは、本当の幸せということです。

「利益」をリエキと読みますと、自分がお金を儲けるという意味になります。

同じ漢字でも読みが違うと全く意味が違ってきます。今、日本で仏教が形だけのものになり下り、信仰とは名ばかりとなりつつあるのは、このように漢字を違う意味として理解しているからだと言われます。その代表が【自然】です。


皆さまはこの漢字をどう読まれますか?

シゼンというのが常識的でしょう。

しかし仏教の教えから言いますと、ジネンと読むのです。


浄土真宗の宗祖、親鸞聖人はお師匠の法然聖人から教えていただいた【ナモアミダブツ】を称えることによって「衆生利益」を実現していく道を歩まれました。

この「衆生利益」の道を歩むことこそが、お釈迦さまの本当の教えに生きることなのです。


私がやんわりというのは、仏教の名の下で他の宗教が何を教えているか、「自分ひとりの幸せを祈願すること」を説いたり、はたまた「不幸になるのは、何かの霊がついてあなたを恨んでいるから供養[仏教本来の意味ではありません]しなさい!」と脅したりしています。社会問題になることが度々ありますから知らないということはないでしょうが、人は拘束されてこういう洗脳をされますと一発で仏教の教えを見失います。その上、意味のわからない占いやお札を勧めて、根拠のないものをいかにもお釈迦さまの教えのようにさえ言う始末です。


親鸞聖人は、それらの教えは自分の責任を他のせいにする教えであり、また恐怖心を募らせ、正常な考えのできない人間を作る道であり、決してお釈迦さまの明らかにされた道ではない、と悲しまれ嘆かれました。


 かなしきかなや道俗の(僧侶もそうでない人も)良時•吉日をえらばしめ(日の良し悪しを言い)天神•地祇(天地の神々)をあがめつつ、卜占[ぼくせん]•祭祀(占いや祈祷)つとめとす

       『愚禿悲嘆述懐和讃』


親鸞聖人の九十年の一生は【ナモアミダブツ】を勧めることによって、みんなの幸せを願って生きていかれました。

ですから、そのよろこびが大きければ大きいほど、自らの不十分さを悲しまれるお心も大きかったようです。

親鸞聖人が、「衆生利益」(みんなの幸せを)願って生きてこられたことは、比叡山をおりらる決断となったのは『御伝鈔』に、

 もしわれ(親鸞)配所(新潟県)に赴かずんば何によってか辺鄙(へんぴ)の群類(人たち)を化せん(教えによってみんなを幸せにすること)これなほ師教(法然聖人の教え)の恩致(ご恩による)なり

と、述べられています。

親鸞聖人は、自分のことよりも、人間の本当の幸せを実現する【ナモアミダブツ】の教えを聞く機会を普段なかなか持てない人たちが教えを聞き、幸せになることを喜んでおられるのです。もちろんこの私も及ばずながら、少しでも多くの方々にこの素晴らしい教えをお伝えするために布教伝道を重ねています。


4月8日はお釈迦さまのお誕生日。

花祭りです。

知ってくださいね。

南無阿弥陀仏

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