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またひとつ

皆さま、おはようございます。

今朝もあいにくの雨ですね。

なかなか春めいたお天気になりませんね。

春の嵐も吹いています。

人生も無常の嵐が吹き荒れています。

「老い」の嵐、「病」の嵐、「死にゆく」嵐も常に吹き荒れていますよね。

若いという油断も、元気だという油断も【無常】の前では何も通用いたしません。


明日ありと、思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは


桜の開花を心待ちにする我々人間ではありますが、桜は咲くことは散る花でもあることを忘れがちであります。

まるで美しい桜が私たち人間に儚い命を教えてくださっているようであります。


さて今日は私の57回目の誕生日なのです。

お母さん、お父さん、有難うございます。

あなたたちのおかげでまた一つ歳を重ねることができました。感謝申します。

何もできない情けない私ではありますが、あなたたちが産み育ててくださったこの命を、何とか生かして、私がこの世界を生きた証を残していきたいです。


これからの人生は、[老い先]ですか?

それとも[生い先]ですか?


これは父が母の誕生日に送った言葉だそうです。どういう思いだったのでしょうか。

そして自身はどのような思いでしたのかな。

皆さまの人生は、「余生」ですか?

それとも「与生」ですか?

お念仏の人生は、【与生】を生きていくのです。


我が親から与えられた命、そして親たる阿弥陀さまから願い、願われた命であります。

二度と輪廻転生することない悟りの命を南無阿弥陀仏を称えて生きていくあなたになってくれとの願いであります。


亡き爺ちゃんは、

わしらぁのう、お念仏申してのう、阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただいて仏さまにならせていただくんじゃ。


幼い私に爺ちゃんは金仏壇の前で教えてくれました。最高の爺ちゃんに私は遇わせていただきました。この言葉は私の宝物であります。


またひとつ重ねることができたこの命、いつまであるかはわからないけど、やれるところまで頑張ってみたいですね。

O型気質でありますので皆さまにはご迷惑をおかけするとは思いますが、何卒よろしくご指導を賜りたいと思うばかりであります。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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