まかせられないのはどうしてか
- 超法寺の住職

- 5月4日
- 読了時間: 2分
常々、浄土真宗のお法りをお伝えする中に、どうしても自分の思いにしがみつき、
欲望のままに生きてはいないでしょうか。
私も精一杯のお取り継ぎをさせていただくよう心を砕いていますが、私も悲しいかな煩悩具足の凡夫でありますから、熱くなってしまったり押しつけているような感じになってしまうことがあります。
浄土真宗の三心(至心・信楽・欲生)は、第十八願に説かれる、阿弥陀仏の真実の心(至心)をそのままいただき、疑いなく信じて喜ぶ心(信楽)、浄土に生まれたいと願う心(欲生)をお聞かせいただくことを大事にしています。
至心は阿弥陀仏の真実心、(私には真実心はありません)
信楽は疑いなき信と歓喜(自身に固辞して疑うばかりでまかせられない私)
浄土に生まれたいという願い(天国だ虹の橋だと自分勝手な解釈に留まる)
この三つを南無阿弥陀仏にすべて込めて私にそのまま届けていてくださいます。
『仏説無量寿経』の本願(第十八願)に誓われた、至心、信楽、欲生の本願の三心
説我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国
乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法
現代語訳
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲(おも)ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
天親菩薩が『浄土論』の冒頭で、
世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国
訳 世尊、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと
願ず。
阿弥陀仏のお心をはかりしることはできないが、あらゆる命をもらさず救ってやりたいという慈悲心によって、声となって届いてくださいます。
南無阿弥陀仏であります。
よく心の中で称えていますというかたがありますが、これは自力です。自力では煩悩具足の凡夫は救われません。
これでもか、これでもかと、必要に応じて喚んでいてくださいます。
疑っている人にはお念仏を称えることはできません。また称えても喜ぶ心はないのです。
人間は60日継続すれば習慣になると言います。
是非、習慣になるまでお念仏を称えることを実践してみたいですね。
南無阿弥陀仏
、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


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