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執筆者の写真超法寺の住職

なぜ驚かぬ

皆さま、冷えますね。

夜分に失礼します。

今夜のルーティーン中に、ふと感じたことがありました。


最近、四十九日(満中陰)法要のご縁の際、『往生要集』の地獄についてお取り次ぎをさせていただいています。

「死ねば仏はありません」と話すと驚きますが、逆に地獄の沙汰について話しても驚かない方が実に多いのです。


ま、あまりに現実(人間世界)とはかけ離れた話だからかも知れませんが、自らのことなんだという思いがしないのかな?などと思ったりします。


確かに私たちは、自分がしていることはとかく間違いないなどと思ったりしています。

しかし、本当にそうでしょうか?

日頃から他人がすることや、他人が犯したことについて文句を言ったりしていないでしょうか。

そういうことは実は私も知らず知らずのうちにしている可能性があるのです。

なぜなら同じ人間なのですから。

人間は自分はいつも正しくて、他人はいつも間違えていると、考えるものだから。


【人は皆 裁判官 他人は有罪 自分は無罪】


これはあるお寺の掲示伝道にありました。

いやぁ、見事だと感心しましたよ。


まさにこういうことですよね。


例えば、毎日のように報道されている「軽石」。八月の海底火山噴火の影響で広い範囲に軽石が流れつき、漁業や観光に多大な影響が出ているそうですね。

また、魚も誤って軽石を飲み込んで死んだりしています。

しかし、直接私たちの生活に関係ないから驚きもしません。

また、毎日のようにあちこちで地震が多発していますが、皆さんはあの東日本大震災をお忘れじゃないですか?

またあるかも知れませんよ?

備蓄されていますか?

また、富士山も静かに大噴火するかも知れないですよ。桜島なんかよりもはるかに酷いものになると言われているのに•••••。


人生も同じです。

私は若いから•••私は元気だから•••新型コロナはワクチン接種で収まってきたから•••。

大丈夫だと勘違いしていませんか?


世の無常とは、そうやって自分の都合が良いように思い、自分の都合のままに生きようとする愚かさを教えていてくださいます。


「縁」が尽きたならば、(それは誰にもわかりません)今でも、明日でも、明後日でも、すぐにこの人生を終えていかねばならないのですよ。

死んでどうなるのか?

自分はどこへ行くのか?

仏になるってどういうことなの?

浄土ってなんなの?

楽になれるの?


この問いに人間の知識は答えを示せず、積み上げてきた経験も役には立たない。


それではどうすればいいの?


仏法を聞くことです。

お聴聞を重ねて生きていくことのみが、私の不安を悩みを乗り越えていける唯一の道だと思う。

最近では、自分の好きな先生の話は聞くけど、興味が無ければ聞かない•••とか、いやいや用事があるからね〜、忙しいからね〜。

と怠る人が増えてきました。

確かにオンラインという便利なものがありますから、そういうものを活用してでもお聴聞することは大切だと思う。


でも私はやっぱり、先生の息遣いを感じ、体温を感じる中にこそ、仏法が我が身に沁みてくるように思うのです。

「あ〜、」という頷きがあればこそのお聴聞の醍醐味だと思うのです。


それは私も住職ですから、一人でも多く参って欲しい。でも何より身近にご講師先生を感じながら仏法を聞ける喜びを知ってほしいのです。

だからといって客寄せパンダみたいなことは極力したくはないのです。

葛藤があります。


「万人の為に法を説かば一人も之を聞かず

一人の為に法を説かば万人これを聞く

その一人は自己である」〈牧野専幸師〉


私が聞きたい、私が聞かせていただきたい先生をこれからもお招きしていこうと思いますよ。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ。


おやすみなさい。

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