GWは懐かしい親の居る場所へ帰りましたか?
会いたくなくても忙しくても逢えるうちに親には逢っておきましょうね。
おかげさまで緊急事態宣言も出ていませんよ。
コロナ禍ではありますが扱いがインフルエンザレベルに引き下げられました。
だから今こそ親には逢って話をして欲しいのです。だって悔いが残るから。
さて、故郷への旅行をなぜ、帰省というのでしょうか。出身地へ帰るので「帰る」というのでしょう。妹たちは両親が生きているときは「実家へ帰る」と言っていたのに、両親が亡くなってからは、「大願寺へ行く」みたいな言い方になりました。女心はデリケートなんだろうか。
そもそも私など実家を出た者は親の居る場所でしかなかったよ。
だから両親が居ない今は、ただのお寺でしかありません。ただただ気の休まない場所となりました。30年も勤めたお寺だったのになぁ。
もう愛着も感じない場所であります。
ま、末の妹が後をやってくれていますから安心ではあります。
もう過去のことであり、私の人生には特段の意味を持つことはなくなりました。
まだしばらくは両親の法事がありますから行く機会はそれなりにあるのでしょうが、そのうちお声すら掛からなくなる日が訪れるのでしょう。
そしてすべてがこの入間市が私の人生すべてになるのでしょうね。
今や私の帰る家は入間市の超法寺であります。
待っていてくれる豆柴たちがいてくれるのが何より有難いのであります。
家庭という基盤、拠点があるからこそ、人は安心して生きることができるのです。
帰る家のない人は、夕暮れが寂しいのです。
しかしながら昨今の若者は帰るべき家が家庭が溶解し若者たちが漂流しているように感じます。親や子供、兄弟がいる家庭ではなく【ネットカフェ】なる場所が居場所となっている若者が増えているようです。
日本での自殺者は毎年3万人以上、そのうち中高年の自殺者が何と60パーセントに及ぶという。この惨状の根は一つ。
人生という旅を終えて帰るべき、いのちの故郷がある、待っていてくれるお方がいらっしゃる。今は亡き両親も祖父母も皆、待っていてくれます。
この感覚を広く共有しなければ日本人の漂流はなてしなく続いていくだろう。
帰るべきところは、人間の知識では答えは出ません。ましてや「死んだら天国」などと未だに思っていらっしゃる方には決してわからないのです。せっかく間違いのない安心の世界を身をかけて伝え遺してくれた祖父母や両親の願いを知らないままに生きては恥ずかしいよ。
間違いだらけの私に何が真実であるかを通夜葬儀という素晴らしい場をもって教えてくださるのですよ。
【倶会一処】(くえいっしょ)の世界は南無阿弥陀仏をお称えさせていただきませんと到底わかるはずなどありません。
私の価値観が崩れてこそ知れる世界などだから。
私は教えていただきましたよ。
南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ、なまんだぶ、
【いざいなん】
さあ、帰ろう。
おやすみなさいませ。
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