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どっちも一緒?

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、こんにちは。

今日は小雨になりましたね。

本当に埼玉県は晴天率日本一というだけあって

乾燥した日が続いていましたので久しぶりに湿り気をいただき喜んでいます。


今日も法務をいただいています。

有り難いですね。

今年二度目の七条袈裟着けます。

貴重な仏縁をしかと勤めたいです。


さて、先日仏縁をいただいた際にお尋ねをいただきました件、お話しさせていただきます。

【浄土真宗と浄土宗は違うの?同じなの?】

どちらの宗派も「南無阿弥陀仏」をいただき、阿弥陀如来さまのお救いをいただきます。

そして浄土真宗の宗祖親鸞聖人のお師匠さまは、浄土宗の宗祖法然聖人です。

親鸞聖人は法然聖人の教えをきちんと理解され、そのままにいただいていました。

ただ、浄土宗さまには非常にたくさんの法然聖人のお弟子がおられます。

その方々はそれぞれに法然聖人の教えを解釈されています。そのために若干の解釈違いがあるようです。(これは文句ではありません)


基本は同じようでも、受け取り方によって変わるもの。

浄土真宗は、「お念仏を素直に聞いて阿弥陀如来のおはたらきにおまかせしていくのです。だからお念仏を申すのは救われた感謝の姿です」


浄土宗は、「一類〈西山派〉、二類〈鎮西派〉があり、宗教法人浄土宗としては鎮西派が浄土宗となります。」

「一類は、極楽浄土に生まれるには阿弥陀如来の他力本願におまかせすることに尽きる。お念仏を唱える中に日々安らぎの毎日を過ごす。そして自力では往生できない。」


「二類では、もちろんお念仏を唱えること、阿弥陀如来におまかせすることだが、善行を働くこともまた極楽浄土へ往生するための方法になる。自力も勧めています。つまり戒律を守ることを言われています。」


この辺りで浄土宗と浄土真宗では違いがあるのですね。

しかしながら、どちらも基本は阿弥陀如来さまのお救いにおまかせしていくということではご一緒ですね。


ただ、浄土真宗が絶対他力で、浄土宗が他力本願、自力本願と二種あるという点の違いなのでしょう。


なかなか皆さまに他宗についてお伝えすることは難しいですね。どうしても自身の宗派を認めて、他宗を否定してしまうようなことになりかねません。

しかしながら、それぞれの良さはありますので仏縁を結ばせていただくご宗家が安らげる宗派を大切にしていただきたいと思います。


唱えることが功徳になる教えか(自力)、南無阿弥陀仏そのものが功徳である(他力)か、ではないかと思います。


やはり日頃からの仏法聴聞が一番の近道になりますよ。お忙しいと思いますが、たまにはお時間を作ってお寺で仏法聴聞してみませんか?

そして苦悩の毎日を安心して生きていくことをしていきませんか?


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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